アッシュールとは? わかりやすく解説

アッシュール 【Assur】

アッシリア最高神軍神で、翼のある太陽円盤に描かれることが多い。→ アッシリア

アッシュール

名前 AshurAssuršur

アッシュル

(アッシュール から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/08 01:43 UTC 版)

アッシュルAššur/Ashur)は、イラク北部に位置する古代都市。 前2600年頃[1][2]から人が住み始め、後14世紀半ばに放棄されるまで、およそ4000年続いた。古アッシリア・中アッシリアの首都として栄える。新アッシリア時代には首都ではなくなったが、宗教の中心地として重要性を維持した。前614年にメディアと新バビロニア連合軍により占領された後は衰退した。


  1. ^ 楔形文字文書では同音異義語を区別する手段として、特定の名詞が神名、地名、王名など何を表しているのかを示す限定符が添えられた。詳細は限定符を参照。
  2. ^ ただし、研究者によっては三方が壁に囲まれた開放型広間をイーワーンと見なす場合があり、必ずしもヴォールト天井を前提としない場合がある。これは古代建築の上部構造が残存している例が稀であるため、天井構造が判明していなくても平面プランから類推してイーワーンであるとみなす傾向による[23]
  1. ^ La Boda, Sharon (1994). International Dictionary of Historic Places: Middle East and Africa. Taylor & Francis. p. 89. https://books.google.com/books?id=R44VRnNCzAYC&pg=PA89 
    (『国際史跡事典(4)中東・アフリカ』(テイラー&フランシス社(英国)傘下のラウトレッジ、1994年(1996年?))p.89より)
  2. ^ Encyclopædia Britannica: "Ashur (ancient city, Iraq)"
    (ブリタニカ百科事典 「アッシュル」の項より)
  3. ^ Walter Andrae, Der Anu-Adad-Tempel in Assur, JC Hinrichs, 1909, (2016 reprint)
    (『アッシュルのアヌ・アダド寺院』(著:ウォルター・アンドレ。オリジナルは1909年にJCヒリンクス社(ドイツ)から。2016年、ハラソヴィッツ出版(Otto Harrassowitz。ドイツ)から復刻出版)
  4. ^ Walter Andrae, Die Stelenreihen in Assur, JC Hinrichs, 1913, (2018 reprint)
    (『アッシュルの石碑』(著:ウォルター・アンドレ。オリジナルは1913年にJCヒリンクス社(ドイツ)から。2018年、フォーゴットンブックス(Forgotten Books。英国)から復刻出版))
  5. ^ Walter Andrae, Die archaischen Ischtar-Tempel in Assur, JC Hinrichs, 1922, (2018 reprint)
    (『古代のイシュタル寺院』(ウォルター・アンドレ。オリジナルは1922年にJCヒリンクス社(ドイツ)から。2018年、ウェントワース出版(Wentworth Press。オーストラリア)から復刻出版))
  6. ^ Walter Andrae, Hethitische Inschriften auf Bleistreifen aus Assur, JC Hinrichs, 1924
    (『アッシュルから出土した、鉛の小片に刻まれたヒッタイト碑文』(ウォルター・アンドレ、JCヒリンクス社(ドイツ)、1924年))
  7. ^ Walter Andrae, Das wiedererstandene Assur, 1938, JC Hinrichs, (1977 reprint)
    (『よみがえるアッシュル』(ウォルター・アンドレ、JCヒリンクス社(ドイツ)、1938年。英語版脚注では1977年復刊と記載されているが、1998年のものもある? 判然としない))
  8. ^ Excavations in Iraq 1989–1990, Iraq, vol. 53, pp. 169-182, 1991
    (『イラクにおける発掘作業(1989~1990年)』(英国イラク研究所 機関誌 第53巻、1991年 p.169-182))
  9. ^ R. Dittmann, Ausgrabungen der Freien Universitat Berlin in Ashur und Kar-Tukulti-Ninurta in den Jahren 1986-1989, MDOG, vol. 122, pp. 157–171, 1990
    (『1986~1989年におけるベルリン自由大学によるアッシュルとカール・トゥクルティ・ニヌルタの発掘作業』(ラインハルト・ディットマン、1990年、ドイツ東洋協会誌)、p157-171))
  10. ^ a b c d History of the city”. Assur.de. 2019年9月閲覧。 Peter A. Miglus
    (『都市の歴史』(ハイデルベルク大学教授 ピーター・A・ミグラス氏のウェブサイト「アッシュル.ドイツ」))
  11. ^ a b c 渡辺 2003, p. 148
  12. ^ a b c 前田ら 2000, p. 41
  13. ^ 前田ら 2000, p. 40
  14. ^ 前田ら 2000, pp. 63-66
  15. ^ a b c d e f g h i j k l m Joshua J. Mark. “Ashur”. Ancient History Encyclopedia. 2019年9月閲覧。
    (古代史百科事典の『アッシュル』(著:ジョシュア・J・マーク)の項より)
  16. ^ 例えば、柴田 2015
  17. ^ 前田ら 2000, p. 86
  18. ^ 前田ら 2000, p. 87
  19. ^ a b 前田ら 2000, p. 90
  20. ^ A Companion to the Archaeology of the Ancient Near East Wiley-Blackwell, 2012 ,"In 614 BC Assur was conquered by the Medes under king Cyaxares (625-585 BC)"
    (『古代近東考古学の手引き』(ワイリー・ブラックウェル社、2012年)p.854 「紀元前614年、アッシュルはキュアクサレス王(前625~585年)率いるメディア軍により征服された」)
  21. ^ The Fall and Rise of Jerusalem: Judah Under Babylonian Rule(Oded Lipschits, Eisenbrauns, reprintin 2013, pp.18)
    『エルサレムの陥落と再建 - バビロニア統治下のユダ』(オデド・リプシッツ(テルアビブ大学教授・イスラエル)、2013年、アイゼンブラウン社(米国))p18より:「メディア人はアラファを去り、カルフ(ニムルド)とニーナワー(ニネヴェ)を攻撃した。そして迅速に北上を続けて近くの都市タルビスを占領した。その後、彼らはティグリス川を下り、アッシュルを包囲した。バビロニア軍が到着した頃には、既にメディア軍はアッシュルへの最終攻撃を開始して占領し、住民の多くを殺害・捕虜としていた。」
  22. ^ a b c d e f g h i Dr. Simo Parpola, University of Helsinki (1999年9月4日). “Assyrians after Assyria”. Nineveh.com. 2011年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月19日閲覧。
    (『アッシリア以後のアッシリア人』(シモ・パラポラ、ヘルシンキ大学))
  23. ^ a b 鳳 2001, p. 72
  24. ^ Beyer 1998, p. 155
  25. ^ Chris S. Lightfoot, "Trajan's Parthian War and the Fourth-Century Perspective" in The Journal of Roman Studies, Vol. 80 (1990), pp. 115-126
    (『トラヤヌス帝のパルティア戦争と4世紀の概観』(著:クリス・S・ライトフット、『ローマ研究誌』第80巻、1990年、ケンブリッジ大学)p.115-126より)
  26. ^ Erich Kettenhofen, "Trajan" in Encyclopædia Iranica (2004)
    (『トラヤヌス帝』(エーリッヒ・ケッテンホーフェン、2004年、イラン百科事典(コロンビア大学)))
  27. ^ Fergus Millar, The Roman Near East 31 BC- AD 337, Harvard University Press(Cambridge, Mass. and London), 2nd.ed., 1994, pp. 99-105.
    (『ローマの近東 紀元前31年~紀元337年』(ファーガス・ミラー、1995年、ハーバード大学出版、p99-105より))
  28. ^ Simon Grote, "Another look at the Breviarium of Festus" in The Classical Quarterly, Volume 61, Issue 2 (December 2011), pp. 704-721
    (『フェストゥスの聖務日課書について、別の視点から』(シモン・グロート、2011年12月、ケンブリッジ大学季刊誌「古典学」第61巻第2部、p.704-721より))
  29. ^ Theodore Mommsen, Römische Geschichte (Berlin 1885), vol. V (Die Provinzen von Caesar bis Diocletian), p. 403
    (『ローマの歴史 第5巻 ユリウス・カエサルからディオクレティアヌス帝までの属州』(テオドール・モムゼン、1885年、ベルリン))
  30. ^ Geoff Hann (2015). Iraq: The ancient sites and Iraqi Kurdistan. p. 246. ISBN 9781841624884. https://books.google.com.au/books?id=-9RNCgAAQBAJ&printsec=frontcover&dq=Iraq:+The+ancient+sites+and+Iraqi+Kurdistan&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwjjvPTbrovNAhWj2qYKHTWgA4cQ6AEIHDAA#v=onepage&q=Iraq%3A%20The%20ancient%20sites%20and%20Iraqi%20Kurdistan&f=false 
    (『イラク:古代史跡とクルディスタン』(旅行ガイド)(著:ジェフ・ハン、2015年、ブラッド旅行出版(英国))p.246より)
  31. ^ Hatra”. Encyclopædia Britannica. 2019年9月閲覧。
    (『ハトラ』(ブリタニカ百科事典)より)
  32. ^ UNESCO World Heritage in Danger 2003
    (『アッシュル』ユネスコのウェブサイトより)
  33. ^ Mezzofiore, Gianluca; Limam, Arij (2015年5月28日). “Iraq: Isis 'blows up Unesco world heritage Assyrian site of Ashur' near Tikrit”. International Business Times. http://www.ibtimes.co.uk/isis-blows-unesco-world-heritage-assyrian-site-ashur-near-tikrit-1503367 2015年8月24日閲覧。 
    (『イラクのティクリート近郊にて、ユネスコ世界遺産であるアッシリアの史跡アッシュルをISISが爆破』(記者:ジャルンカ・メゾフィオレ及びアリジ・リマム、2015年、インターナショナル・ビジネス・タイムズ))
  34. ^ Iraq Assur | AP Archive”. www.aparchive.com (2016年12月11日). 2019年3月25日閲覧。
    (『イラク/アッシュル』APアーカイブ)
  35. ^ “Iraqis seek funds to restore cultural artifacts recovered from ISIS”. CBS News. (2017年2月24日). https://www.cbsnews.com/news/iraqis-seek-funds-to-rebuild-cultural-artifacts-controlled-by-isis/ 2017年10月8日閲覧。 
    (『イラク人は、ISISから取り戻した文化遺産を修復するための資金を求めている』(CBSニュース))
  36. ^ ICOMOS, Ashur (Qal'at Sherqat) (PDF) (世界遺産候補評価書「アッシュル」)
  37. ^ 日本ユネスコ協会連盟 2003, p. 50
  38. ^ 日本ユネスコ協会連盟 2003, pp. 30, 34, 50
  39. ^ 世界遺産検定事務局『くわしく学ぶ世界遺産300』第3版、2019年、p.179



アッシュール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/29 21:18 UTC 版)

四方世界の王」の記事における「アッシュール」の解説

バービルムの北に位置する大国傭兵シャムシ=アダドによって、都が落ちた国土広大だが、普段北方山岳民や蛮族侵入攻防忙殺されるなど、国力ラルサ遠く及ばないシャムシ=アダド バービルム北方の国・アッシュールの王。20代後半無精ひげ精悍な男。傭兵ありながら、たった1人でアッシュールの都を陥落させ、自ら王を名乗った10年弱で四方世界半分近く制覇した英雄ラルサのアッシュールへの北上を防ぐ堤としてバービルム利用しよう画策する文字読めないエレール シャムシ=アダド娘。神秘的な雰囲気醸し出す14歳少女だが、外見20代に見紛われることもあるほど大人びている。父に厳し罵り言葉発するが、その実互いに愛情満ちており、父のためなら破滅してもよいと思っている。たとえ禁忌であろうと父の子産みたいとさえ願う。“エレール”は純潔の意。シュメール時代失われたとされる飛翔による翼の動き占卜を行う占いの技術有する。神の小胞触れることができる。文字読めない父のために独学文字読めるようになった上の2人のあまりの無能さ呆れる。 イシュメ=ダガン シャムシ=アダド長男18歳。アッシュールのエカルアトムという都市治めている。シャムシ=アダド10歳時の息子という噂がある。猜疑心持たない単純な男。父がエレールのみを連れ歩くことに、親子の間に距離を感じており、劣等感抱いている。 ヤスマフ=アダド シャムシ=アダド次男

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