アッシュールナツィルパル2世のカルフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 16:37 UTC 版)
「ニムルド」の記事における「アッシュールナツィルパル2世のカルフ」の解説
紀元前883年から紀元前859年にかけてアッシリアを治めたアッシュールナツィルパル2世はカルフに新たな宮殿や首都としての機能を追加した。数千数万の人々が市と大宮殿を囲む8kmの長さの城壁建設に従事した。石灰岩に刻まれた石碑が遺跡の各地から出土しており、そこから彼の治世や宮殿、征服事業についての多くが分かる。 その中には次のような文章の刻まれたものもある。「わが王の住まいと、わが主のすべての時の喜びのための、ヒマラヤスギ、イトスギ、ネズ、ツゲ、クワ、ピスタチオ、タマリスクでできた宮殿、わたしはここに築く。白い石灰岩やアラバスターでできた山や海の獣たち、わたしはそれらを作り門に置く。」また碑文には宮殿に蓄えられた戦利品・略奪品の数々のことも書かれている。「銀、金、鉛、銅と鉄、わたしの支配の下に置いた土地からわたしの手にした戦利品、私は多くのものを得てここに納める。」その他、征服を祝う祝宴などのことも刻まれている。しかし彼の行為は多くの場所で恐れられた。「わたしは捕虜を奪いその多くを火の中で燃やした。生かしておいた者のうちいくらかは手首を切り落とさせた。残りの者からは鼻、耳、指を切り落とさせた。兵士たちの多くから私は眼を取った。彼らの若者、娘、子供らを焼いて殺した。」別の都市の征服にあたっての祝宴について彼は碑文にこう書く。「反抗した貴人たちの皮膚をわたしは剥ぎ、彼らの皮膚を広げて積み上げた。」こうした恐怖を与える戦術や宣伝は、各地の征服にあたり有利に働いた。紀元前877年にはついに地中海まで進軍し、その後このように布告している。「わたしは武器を深海で清め、神々に羊を供えた。」
※この「アッシュールナツィルパル2世のカルフ」の解説は、「ニムルド」の解説の一部です。
「アッシュールナツィルパル2世のカルフ」を含む「ニムルド」の記事については、「ニムルド」の概要を参照ください。
- アッシュールナツィルパル2世のカルフのページへのリンク