征服事業
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「ティムールの征服戦争」も参照 14世紀初頭にモンゴル王族カイドゥの王国を乗っ取る形で中央アジアの東西トルキスタンに勢力を拡大したチャガタイ・ハン国は、1340年頃には早くも分裂に向かい、東トルキスタンの東チャガタイ・ハン国とマー・ワラー・アンナフルの西チャガタイ・ハン国に分かれた。西チャガタイ・ハン国では多くの有力部族が地方に割拠したためにハンの権力は早々に喪失し、各地に分領を持つ有力な遊牧貴族による群雄割拠の態をなす。この中で盗賊的な活動を行いながら小さいながらも自己の勢力を築きつつあったのが、チンギス・カンの出たボルジギン氏と同祖の家系を誇る名門バルラス部族の出身であるが、父の代までにすっかり零落していた没落貴族の息子ティムールであった。1360年、東チャガタイ・ハン国(モグーリスタン・ハン国)のトゥグルク・ティムールが西チャガタイ・ハン国に侵攻し、一時的にチャガタイ・ハン国の東西統一を成し遂げると、ティムールはこれに服属してバルラス部の旧領を回復する。 やがてトゥグルク・ティムールが本拠地の東トルキスタンに帰ると、ティムールは東チャガタイ・ハン国から離反し、西チャガタイ・ハン国の諸部族と同盟と離反を繰り返しながら勢力を広げ、1370年までにマー・ワラー・アンナフルの覇権を確立した。彼はチンギス・カンの三男オゴデイの子孫ソユルガトミシュを西チャガタイ・ハン国のハンとして擁立し、自身はチンギス・カンの子孫の娘を娶って、「ハン家の婿婿(アミール・キュレゲン)」という立場においてマー・ワラー・アンナフルに住むチャガタイ人の諸部族の統帥権を握った。一般に、この年をもってティムール朝の確立とする。 新王朝の確立後、ティムールは東トルキスタンに遠征してモグーリスタン・ハン国を服属させ、マー・ワラー・アンナフルの西のホラズムを征服した。さらにジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)から亡命してきたトクタミシュを支援してジョチ・ウルスを再統一させ、北西のキプチャク草原を友好国として中央アジアの支配を固めた。 続いて、1335年のフレグ王家断絶後、イルハン朝(イル・ハン国)が解体して諸勢力の割拠していたイラン方面の経略を開始し、1380年にはマー・ワラー・アンナフルからアム川を越えてホラーサーンを征服、1388年までにイランの全域を服属させ、アルメニア、グルジアからアナトリア東部までを勢力下に置いた。1393年にはイランのファールス地方を支配するムザッファル朝を征服してイランの全土を完全に制圧し、さらにカフカスからキプチャク草原に入って、ホラズムの支配をめぐってティムールと対立したトクタミシュを討ち(トクタミシュ・ティムール戦争(英語版))、ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)の都サライを破壊した。 1398年には矛先を変えてインドにも侵攻し、デリー・スルタン朝の都デリーなどを占領した。1400年には再び西方に遠征してアゼルバイジャンからシリア、イラクを席巻してマムルーク朝を破り、1402年にはアンカラの戦いでオスマン帝国を破って一時的に滅亡させ、シリア、アナトリアの諸侯国にまで宗主権を及ぼしてサマルカンドに帰還した。こうしてティムールは30年間でモンゴル帝国の西半分をほぼ統一することに成功した。 1404年には「ティムール紀行(スペイン語版)」で知られるルイ・ゴンサレス・デ・クラヴィホがティムール朝を訪れたが、ティムールの病の為にフランス王シャルル6世とカスティーリャ王エンリケ3世への返書を得ること無く帰国した。改めて東方のモンゴル帝国のカアン直轄領(元)回復をこころざし、元に代わって中国を支配した明への遠征に向かう途上の1405年にティムールは病死した。
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征服事業
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アラーハーバード碑文は、サムドラグプタが破った勢力を以下のように分けている。 サムドラグプタによって滅ぼされた後、完全に領地を併合された諸侯ガンジス川流域の独立政権 貢納を誓い、グプタ朝に組み入れられた諸侯デカン高原のマハナディ川とゴダヴァリ川の間に存在した12の領主 臣従を誓った辺境地方の諸王アッサム、マールワー、グジャラート、西パンジャーブ、ラージプーターナーに存在した族長 使節を派遣してサムドラグプタの権威を認めた遠隔地の諸王サカ人がインドに建てた王国(インド・スキタイ王国)、クシャーナ朝
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