征服活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/25 04:53 UTC 版)
アジャータシャトルは王位についてすぐ活発な征服活動を展開した。まずコーサラ国王プラセーナジットを降し、カーシ国も完全併呑した。その後ヴァイシャーリー国も攻めて支配下に置いた。 アジャータシャトル王のヴァイシャーリー征服についてはジャイナ教の伝説に以下のような説話が残されている。 かつてビンビサーラ王はセーヤナガと言う名の有名な象と宝石の首飾りをアジャータシャトルの兄弟(ハッラとヴェハッラ)に与えた。アジャータシャトルは王位を奪って後、彼らにこれらの物品を返却するように要求したが、彼らは拒否し、ヴァイシャーリー王チェータカ(アジャータシャトル及びその兄弟の母方の祖父に当たる)の下へと逃亡した。このためにアジャータシャトルはヴァイシャーリーを攻めることにしたという。 この他にも数多くの征服活動を行ってマガダ国をインド随一の大国へと押し上げた。さらにヴァッジ国も攻撃しようとして、雨行(ヴァッサカーラ)大臣を霊鷲山にいる釈尊のもとへ遣わし、その旨を窺ったがヴァッジ国の人々は決して衰退しない七つの行いを実行していると聞き断念したという。 アジャータシャトルは自らが殺した父王ビンビサーラと同じく、息子によって殺害されたと伝えられている。彼が崩じたのは仏滅後24年のことであったといわれる。 彼の死後王位を継承した人物の名前については諸記録で混乱がある。プラーナ文献によればダルシャカが後継者とされているが、パーリ語、及びサンスクリット語の聖典によればウダーイバッダ(梵:ウダーイバドラ)ジャイナ教の伝説によればウダーイン(『マハーヴァンサ』ではウダヤバッダカ)が後継者であった。現在では後継者をウダーインとする説が有力である。
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