征服・貿易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:35 UTC 版)
第12王朝の前にも、第11王朝第5代メンチュホテプ2世は、国内の統一とともに国境線の安定化に乗り出し、下ヌビアや西部砂漠のヌビア人、砂漠のベドウィンなどを撃ち採石場・鉱山、貿易路の確保に努めていた。 しかしながら、第12王朝においてはより積極的な安定化が図られた。特にセンウセレト3世は、治世の前半ヌビアに親征しナイル川第2急湍(きゅうたん)地方まで征服し、要塞を建造して征服地の安定化に努め、「征服者」と呼称された。この親征の成功による王の威信の向上は、前述の行政改革にも好影響を及ぼしたであろうことが推察される。 このようにセンウセレト3世の治世には、中王国前半にも追求された中央集権的国家体制の回復が、完全に実現されたのである。 中王国は前述の通りアメンエムハト3世の時代に最も繁栄したが、その後継のアメンエムハト4世が即位9年ほどで後継者ないまま死去したため王妃セベクネフェルウが女王として即位した。しかし、セベクネフェルウも4年で死去し、第12王朝は断絶した。
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