ファラオ
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ファラオ(翻字: pr-aA, エジプト語英語化: per aa, 英: Pharaoh, 独: Pharao, 仏: Pharaon)とは、古代エジプトの王を指す称号である。この語は第18王朝のトトメス3世の時代に使われ始めたものである[1]が、近代ではトトメス3世以前の古代エジプトの王もこの称号で呼ぶ。聖書においては、パロとも表記される。
注釈
- ^ なお、王を指す"nswt"はもともと上エジプト王単体を指している言葉である。それが王という一般名称に発展したのは、最初のエジプト全土を統一したのが上エジプト出身の王であったからではないかと、松本 (1994)は推測している[7]。
- ^ 翻字は"nfr-nTr"であり、nfrの意味にbeautiful/good/perfectと揺れがあるため、「完璧な神」と訳される場合もある[10]
- ^ 翻字ではmn:n-iで、「永続する者」と訳される[17]。ギリシャ名メネス。
- ^ なお、メンフィスの古王国時代の呼び名イネブ・ヘジュはのちに中王国時代にアンク・タアウィ、新王国時代にメン・ネフェルとなり、最終的にこれがギリシャ語で「メンフィス」となった[23]。
- ^ もともとは王の在位期間は30年に限られ、それが過ぎるとこのセド祭において殺されていたようである[要出典]。しかし、王はここで新たに戴冠式を行い、王としての新たな活力を得て再生するとされた。なお、慣例に反して30年未満の治世でセド祭を実行することはのちの王にも見られる[25]。
- ^ セト名を用いた王はいないが、セトを守護神にしたり、セトを名前の要素に用いた王家は存在する。例えば、第20王朝にはセティと言う名の王が2名存在し[27]、第21王朝の始祖はセトナクト(セト神は力強い)である[28]。
- ^ 意味は「ラーの息子」[30]。
- ^ 一説によると、6歳で即位し、94年間の在位ののち100歳前後で死去したという。しかしながらこれはヒエラティックで書かれたトリノ王名表による記載で、ヒエラティックでは9と6の数字がよく似ているため、64年の間違いの可能性もあると松本は指摘する。それでも長期政権であったことには変わりはない状況である[35]。
- ^ 不輸・不入権とは、不輸の権と不入の権からなり、不輸は国家による租税を免除する権利、不入は領域内に国や役人が立ち入ることができない権利である[1]
- ^ 鉄は王朝時代には王でさえめったに入手できなかった金属であり、主に儀礼用に使用されていたのみであった[36]。例として、ツタンカーメンの墓からはエジプト史上最古の鉄剣が発見されているが、ヒッタイトからアジアを経由し伝わってきたとみられている[37]。本格的に鉄がエジプトにおいて使用されるのは第3中間期からで、鉄が家庭用品の原材料となったのはローマ時代であった[36]
- ^ それぞれ、原語の翻字・意味は、Hw(権威), siA(動詞:知る・分かる・悟る/名詞:認識), mAat(真理・真実・正義・秩序)[42]
- ^ 文字を習得することは、当時極めて困難な行為であった。帳簿の計算などに使われるヒエラティックを自由に操ることができる書記は、ほんの一握りしかおらず、「ドゥアケティの教訓」や「ケティの教訓」をはじめ、書記になれと勧める教訓文学は非常に多い[44][45]
- ^ アメンエムハト1世がクーデターを起こしたかどうかについて、スペンサー (2009)は言及を控えている[47]。
- ^ ヒクソスという言葉は"Hqa.w-xAs.t"(外国の支配者)に由来する[50]。
- ^ エジプト語では、"Hm-nTr-tpy.n-imn"[56]
- ^ 屋形 (1969)は「スフィンクス碑文」としている。「夢の石碑」が松本 (1998)による表記。
- ^ なおヌビアだけは直接統治の仕組みが確立されていたため、喪失を免れた[59]。
- ^ パラメセスは王になるにあたり、ラメセス(1世)と改名した[61]。
- ^ しかしながら宗教改革の事件は記憶に新しく、一定の距離はおいた模様である[62]。
- ^ しばしばラメセス大王と呼ばれる[65]。
- ^ 松本 (1998)によれば、危うく負けそうになったところを立て直し、互角の勝負で終わったという。
- ^ しかし、すでにあった建築物にラメセス2世の名前を刻んだものも多い[69][66]。
- ^ 屋形 (1998)は20年の平和な治世と言及している[70]が、von Beckerath, Shaw, Dodson, Malek, Arnold, Grimalなどは10年との言及をしており、主な説は10年である模様である。
- ^ 海の民とは飢饉のため地中海付近に定住できなかった、武装した難民集団を総称する語である[74]。
- ^ 従来(1998年)はこれはミイラに目立った外傷がないことを根拠に暗殺未遂だと言われていた[77][78]が、CTスキャンにより喉まで達する致死傷が発見され、定説は覆された。
- ^ 翻字:wHm-mswt, 直訳:repeating births(誕生の更新[80])
- ^ なお、これらの事実は「ウェンアメン航海記(en)」に記されている[81]。
- ^ 有名なツタンカーメンの墓は2度、第20王朝ごろに盗掘に入られている[1]。
- ^ アメン大司祭国家は第21王朝と複雑な婚姻関係を結んでおり、その全容は明らかになっていない[84]
- ^ 第23王朝のイウプト1世とは別人である。
- ^ アメンの聖妻は生涯婚姻しなかっため、養女による継承が行われた[90]。
- ^ しかしながら、歴代誌上 35:20-24によると、ニィカアゥ2世はヨシア王を攻めようとはしておらず、ヨシア王が引き返そうとしなかったのでやむなく応戦したとある。
- ^ 例えば、"ジェド"カラー・イセシ王や、トトメス4世のネブティ名「"ジェド" ネスィト ミーアトゥム(アトゥム神のように安定なる王権を持つ者)」が挙げられる。
- ^ 第25王朝には、ヌビア人がナパタやメロエに小規模なピラミッドを築いたが、傾斜はエジプトのものより急であった。ギザのピラミッド群に感銘を受けて建造した可能性が示唆されている[115]。
- ^ ただし、古王国時代には王はホルス神の化身とされている[120]など、時代によって王の神格化の形態は異なる。
- ^ しかしながら、スペンサー (2009)によると、女性は男性と法的に平等であり、離婚は妻からでも夫からでも言い出すことができた可能性についても言及されている。さらに、経済的にも平等であり、第13王朝に織物工場を所有していたセテブティシという女性が存在していたことが分かっている[121]
- ^ 神の聖妻[127]、アメンの聖なる妻[128]とも。
出典
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