エジプト第4王朝
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エジプト第4王朝(えじぷとだいよんおうちょう 紀元前2613年頃 - 紀元前2498年頃)は、エジプト古王国時代の古代エジプト王朝。古代エジプト文明を代表する建造物であるギザの大ピラミッドを建設した王朝であり、そのピラミッドを建設した王としてクフ王、カフラー王、メンカウラー王の名は広く知られている。
注釈
- ^ マネトは紀元前3世紀のエジプトの歴史家。彼はエジプト人であったが、ギリシア系王朝プトレマイオス朝に仕えたためギリシア語で著作を行った。
- ^ アフリカヌスの引用による数字。エウセビオス版では17人とするが個別の王名は記載されていない
- ^ ヘロドトスの『歴史』にはまず道路と地下室を建設するために常に10万人が3ヶ月交代で働き、苦役は10年に及んだ。ピラミッド自体の建設には更に20年を擁したとある。『歴史』巻2 §124(松平訳 1971, p.240)
- ^ トリノ王名表の断片にはカフラーとメンカウラーの間に一人分の空白があるように思われる[10]。
- ^ ヘロドトスはメンカウラーの「善政」とは別に、大ピラミッドを建造したクフ王とカフラー王の治世はあわせて106年間であり、この時代をエジプト人は最も過酷な時代として記憶し、言語に絶する苦難に沈んだ時代であるとしていたという。更にエジプト人は憎しみのあまりクフ王やカフラー王の名前すら口にしなかったと記録している。『歴史』巻2 §124-128(松平訳 1971, pp.241-243)
- ^ 内容については『筑摩世界文学大系1 古代オリエント集』を参照。要約はフィネガン 1983 p.250 を参考にした。
- ^ 奇蹟という訳語は参考文献「ウェストカー・パピルスの物語」『筑摩世界文学大系1 古代オリエント集』に依った。この物語については『筑摩世界文学大系1 古代オリエント集』に全文の和訳が掲載されている他、こちらのサイトで、「三人の王たちの誕生にまつわる物語」というタイトルで西村洋子による訳文が解説付きで公開されている。
- ^ ただし、屈折している理由について明確に確定しているわけではない[16]。
- ^ ピラミッドの用途や発達経過については現在も議論が続いている分野であるが、この章で述べたピラミッドの発展過程の全体的な流れは基本的に『世界の歴史1 人類の起原と古代オリエント』の記述に基づく。
出典
- ^ a b c フィネガン 1983, p.239
- ^ a b クレイトン 1999, p.55
- ^ フィネガン 1983, p.240
- ^ a b 畑守 1998, p.215
- ^ フィネガン 1983, p.241
- ^ クレイトン 1999, p.59
- ^ 畑守 1998, p.216
- ^ フィネガン 1983, p.244
- ^ 『歴史』巻2 §127(松平訳 1971, pp.240-241)
- ^ フィネガン 1983, p.246
- ^ クレイトン 1999, p.75
- ^ フィネガン 1983, p.248
- ^ 『筑摩世界文学大系1 古代オリエント集』 p.416 の解説に依る。
- ^ a b c 屋形ら 1998 p.399
- ^ 近藤 1997 p.84
- ^ 近藤 1997 p.85
- ^ a b c 屋形ら 1998 p.400
- ^ 畑守 1998, p.217
- ^ 『歴史』巻2 §124(松平訳 1971, p.240)
- ^ 三笠宮 1991, pp.172-173
- ^ a b 河江 2015, pp. 109-111
- ^ ジャック・フィネガンの推定に依る。フィネガン 1983, p.239
- ^ 参考文献『ファラオ歴代誌』の記載に依った。クレイトン 1999
- ^ フィネガン 1983, p.64
- 1 エジプト第4王朝とは
- 2 エジプト第4王朝の概要
- 3 歴史
- 4 ピラミッド
- 5 歴代王
- 6 第4王朝のファラオの在位期間
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