エジプト第25王朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/23 01:12 UTC 版)
エジプト第25王朝(エジプトだい25おうちょう、紀元前747年 - 紀元前656年)は、第3中間期の古代エジプト王朝。複数の王朝が並立していたエジプトに侵入してこれを統一したクシュ人達の王朝を指し、クシュ朝と呼ばれることもある。1世紀近くエジプトを支配したが、最後はアッシリアのエジプト侵入によってヌビアへと引き上げた。
- ^ 紀元前3世紀のエジプトの歴史家。彼はエジプト人であったが、ギリシア系王朝プトレマイオス朝に仕えたためギリシア語で著作を行った。
- ^ ヌビア人達はエジプトの様式の中でも、古王国や中王国風の古めかしい様式を好んだ。
- ^ ヘラクレオポリスという名は、この都市で祭られていた地方神ヘリシェフをギリシア人がハルサフェスと呼び、名前の類似等からヘラクレスと同一視したことによって付けられたギリシア語名である。
- ^ 紀元前3世紀のエジプトの歴史家マネトの記録ではディオスポリスマグナと呼ばれている。これはゼウスの大都市の意であり、この都市がネウト・アメン(アメンの都市)と呼ばれたことに対応したものである。この都市は古くはヌエと呼ばれ、旧約聖書ではノと呼ばれている。ヌエとは大都市の意である。新王国時代にはワス、ワセト、ウェセ(権杖)とも呼ばれた。
- ^ ユダ王国はかつてダビデ王によって築かれた統一イスラエル王国が分裂して建てられた王国の1つ。北側のイスラエルと南側のユダに分かれたが、この時点では既にイスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされている。
- ^ 参考文献『聖書時代史 旧約編』の記述による。
- ^ 旧約聖書列王記では「エジプト王ティハルカ」と記されているが、この時点では彼は王位についてはおらず、旧約聖書の記述は後世の筆記者が彼を王と勘違いしたものであると考えられる。
- ^ センナケリブが勝利による利益を十分に得ないまま引き上げた理由についてははっきりしない。1つの説としては、アルタクにおけるエジプト軍との戦いが、実際にはアッシリア側の記録にあるほどの勝利ではなく、手痛い打撃を受けていたためであるとする説があるが不詳。他に、本国で不穏な動きがあったため帰還しなくてはならなかった、または軍内部で疫病が発生したという説もある。この2つはいずれも旧約聖書列王記下の記述に基づいている。またヘロドトスの記録した後世のエジプト人の説話では、野ネズミの大軍がアッシリア軍の軍営を襲い、弓と盾の取ってをかじったため、アッシリア軍は撤退したとされる。
- 1 エジプト第25王朝とは
- 2 エジプト第25王朝の概要
- 3 歴史
- 4 歴代王
- エジプト第25王朝のページへのリンク