マネト
マネト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/21 15:12 UTC 版)
マネト(ラテン語: Manetho[1], 生没年不詳)は紀元前3世紀の古代エジプトの歴史家、神官。マネトン(ギリシア語: Μανέθων)などとも記される[1]。
プトレマイオス朝に仕えたエジプト人であり、ギリシア語で著作を行った。歴史書『アイギュプティカ』で示した時代区分は、 現代もエジプト年代学の基礎となっている。
名称
マネトはラテン語による名[1]で、マネトー[2]とも表記される。ギリシャ語形ではマネトーン(ギリシャ語: Μανέθων, ラテン文字転写: Manethōn; 長母音を略してマネトン[1]とも)またはマネトース(ギリシャ語: Μανέθως, ラテン文字転写: Manethōs)。
経歴
マネトはエジプト人であったが、彼の時代(紀元前300年前後)はヘレニズム系のプトレマイオス朝の時代であり、彼もプトレマイオス1世・2世に仕えたためギリシア語で著作を行った。また、神官としてヒエログリフも解読できたとみられ、その能力が著作に生かされたとみられている。
マネトの著作は現存しておらず、断片部が引用されてその内容が知られている。代表的なものとして『アイギュプティアカ』(ギリシャ語: Αἰγυπτιακά, ラテン文字転写: Aegyptiaca;『エジプト史』『エジプト誌』とも呼ばれる)があり、古代エジプトの時代区分(「第○○王朝」)はアイギュプティカに基づいている。その他にもマネトが記したとされる著作も現存しておらず、中には彼の著作かどうかも不明なものもある。
脚注
参考文献
- イアン・ショー、ポール・ニコルソン『大英博物館 古代エジプト百科事典』原書房、1997年、520頁。ISBN 4-562-02922-6。
マネト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 15:06 UTC 版)
後世のエジプト人歴史家マネトはクフを「スフィス」(Sûphis)と呼び、その治世を63年間とした。彼はまたクフの大ピラミッド建造に言及する際、ヘロドトスを引用し、「彼はこのピラミッドは「ケオプス」(Khéops)によって建てられたと言っている。」と述べている。明らかにマネトはケオプスとスフィスを別の王だと考えていた。マネトはまた、クフは神々を軽蔑する者となったが後に悔い改め、神聖な書物を書いた事、彼(マネト)がエジプトを旅行中にその本を手に入れた事を書いている。 この「神聖な書物」についての話は現代のエジプト学者に疑問を持たれている。王が本を記し、その書物が容易に売却されることはまず無いことであろうと思われる。
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