マネトの王名記載
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 16:31 UTC 版)
プトレマイオス朝の神官マネトは、彼が書いた「エジプト史」の中で、Orus, Amenophis, Rathotis, Harmaisという王について言及しているが、マネトの記述と考古学的推定との対応は以下の表のとおりである。 マネトの記述と推定される統治期間との対照表名前(マネト)名前(推定)治世(マネト)治世(考古学的推定)Orus アメンホテプ3世 36年5か月 37年 Amenophis アクエンアテン+スメンクカーラー 19年 17年+3年 Rathotis ツタンカーメン 9年 9年 Harmais アイ 4年1か月 4年 以上の通りの対応があることが確認できるが、アマルナ時代のファラオはマネトの記述の中心的存在であるにもかかわらず、マネトが指しているどの名前がどのファラオと一致するかは研究者の間でも意見が分かれている。なお、アクエンアテン治世末期からツタンカーメンまでの間に、スメンクカーラー及び、アクエンアテンの王妃ネフェルティティであると推測されているネフェルネフェルウアテンという王位名を持つ支配者がいたとされる。
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