悔い改め
悔い改め
懺悔
(悔い改め から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/07 14:01 UTC 版)
懺悔(ざんげ、さんげ)とは、それぞれの宗教における神、聖なる存在の前にて、罪の告白をし、悔い改めることをいう。
なお、宗教を問わず「懺悔」という語の本来の読みは「さんげ」であるが、現在では一般的に「ざんげ」と読まれる(キリスト教の項を参照)。仏教では現在でも「さんげ」と読まれる。
仏教における懺悔
仏教において懺悔(さんげ)とは、自分の過去の罪悪を仏、菩薩、師の御前にて告白し、悔い改めること。本来はサンスクリット語で「忍」の意味を持つ。半月ごとに行われる布薩では地域の僧侶が犯した罪を告白し懺悔するほか、自恣という僧侶同士が互いに罪を告白しあう行事もあった。 また、懺悔文という偈文があるほか、山岳修験では登山の際に「懺悔、懺悔、六根清浄」と唱える。
天台宗懺法
天台宗の法要儀式には懺法(せんぼう)と言うものがある。懺法とは、自ら知らず知らずの内に作った諸悪の行いを懺悔(さんげ)して、お互いの心の中にある「むさぼり・怒り・愚痴」の三毒を取り除き、自分の心をさらに静め清らかにする儀式である。12世紀中頃には宮中行事の一つでもあった。
『吾妻鑑』の記述には、12世紀終わりの正治2年(1200年)2月2日条に、頼朝没後、将軍家北条政子が法華堂において法華懺法を始行せられる、という記事が見られる。武家の政道が始まり、約15年後には懺法が行われていた事になる。
また、懺法と同様に、懺悔する儀式に悔過(けか)がある。記述例として、『日本書紀』皇極天皇元年(642年)6月25日条に悔過を行った記録があるが、その理由は、雨乞いのために牛馬を生贄に出したが効き目がなかったので、仏の教えに従って悔過をして雨乞いしたというものである(道教的儀礼から仏教的儀礼を採用した形である)。
修験道
仏教の影響を多分に受けた修験道においても懺悔は行われ、山祇(山神)の好む秘密告白と祓えとの一分岐である。懺悔をする対象が直接的であり、修行の一環でもある(この点において、仏教ともキリスト教とも異なる)。
キリスト教における懺悔
現在、キリスト教や一般語としては、通常「ざんげ」と読まれるが、「懺」を濁音で「ざん」と読むことは本来的でない。亀井孝は、この語が「慙愧懺悔」という複合形式で用いられることが多かったため、慙愧(ざんぎ)の語形に引きづられて懺悔も「ざんげ」と読まれるようになった可能性を指摘しており[1]、前出の複合語「ざんぎ-さんげ」を単に連濁形で読むだけでも「ざんげ」に変化することから、総じて受容されやすかったと考えられる。
「懺悔」は聖公会などで多用される語彙であるが、キリスト教の全ての教派で日常的に使われる表現ではない。カトリック教会での秘跡は「ゆるしの秘跡」と呼ばれ、正教会での機密は「痛悔機密」と呼ばれる。
脚注
関連項目
悔い改め
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 05:31 UTC 版)
恵泉女学園大学教授川島堅二は自身の研究を記した「川島堅二の宗教学研究室 Religious Studies」において2003年以降、組織は急速にソフト化している、とコメントしている。 「真理のみことば伝道協会」主宰の牧師ウィリアム・ウッドは2012年、自身のサイトにおいて『カルト化した教会の悔い改めは極めて珍しいもので、歓迎されるべきものですが、問題がすべて、解決されているとまでは言えないようです』と記し、今後注目していくべき解決されていない問題として以下の2点を挙げている。 10数年前に東京にあった単立の正統派キリスト教会「代々木八幡キリストの教会」に対して、マッキーン氏が日本での活動を開始した際に、「礼拝以外の時間に集会を開きたいから、6カ月だけ教会を使わせてください」と教会に頼み込み、それが了解された。しかし6カ月後に、巧妙な政治的手段によってマッキーン氏が古いメンバーを追い出してから総会を開き、教会の土地や建物をボストン・ムーブメント(東京キリストの教会)のものにしてしまった。その法的責任。 教会の律法主義、権威主義によって精神病が発生し、未だに病院に通っている人々が多い中、傷ついた信者たちのフォローアップ。 しかし、その後、牧師ウィリアム・ウッドは、2017年に3度に渡り、主任牧師、副牧師および50名以上の平信徒と話し合いの場を持ち、その時の模様を2018年1月に自身のサイトに記している。その中で以下の点が確認できたとしている。 以前、行き過ぎた弟子訓練が行われていたこと、高慢になっていたことを深く反省し、悔い改めている 過去に傷ついて教会を去った人々に謝罪をし、誰からでも学ぼうという意思があること、また、聖書通りの教会を目指していることが確認できた 教会の職員のみならず、平信徒も教会の問題点を深く見つめ、再度同じ過ちを繰り返さないように注意を払っている印象を深く受けた 今後のビジョンが熱く語られ、神の栄光が現れる教会として進んで行きたい、という1人ひとりの思いが伝わってきた また、牧師ウィリアム・ウッドは『真理のみことば伝道協会は、今後も東京キリストの教会との関係を保ちながら助言をし、教会の更なる成長・改善・進展を見守って行きたい』と表明している。
※この「悔い改め」の解説は、「東京キリストの教会」の解説の一部です。
「悔い改め」を含む「東京キリストの教会」の記事については、「東京キリストの教会」の概要を参照ください。
「悔い改め」の例文・使い方・用例・文例
悔い改めと同じ種類の言葉
- 悔い改めのページへのリンク