放蕩息子のたとえ話
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放蕩息子のたとえ話(ほうとうむすこのたとえばなし、英語: Parable of the Prodigal Son)は、新約聖書『ルカによる福音書』15章11〜32節でイエス・キリストが語った、神のあわれみに関するたとえ話である。
- ^ 直前までの節に《また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。 そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。》とあり、それを受けての《また言われた》である。《また言われた》は地の文であり、福音書記者ルカによるものと考えられる。《言われた》のはイエス・キリストである。
- ^ 父は健在である。
- ^ 旧約聖書『申命記』21章15〜17節に《「人がふたりの妻をもち、そのひとりは愛する者、ひとりは気にいらない者であって、その愛する者と気にいらない者のふたりが、ともに男の子を産み、もしその長子が、気にいらない女の産んだ者である時は、 その子たちに自分の財産を継がせる時、気にいらない女の産んだ長子をさしおいて、愛する女の産んだ子を長子とすることはできない。 必ずその気にいらない者の産んだ子が長子であることを認め、自分の財産を分ける時には、これに二倍の分け前を与えなければならない。これは自分の力の初めであって、長子の特権を持っているからである。》とあり、母が気にいらない女であるか否かにかかわらず、弟は長子の半分の額を相続できたものと思われる。
- ^ 旧約聖書『レビ記』11章7、8節に《豚、これは、ひずめが分かれており、ひずめが全く切れているけれども、反芻することをしないから、あなたがたには汚れたものである。 あなたがたは、これらのものの肉を食べてはならない。またその死体に触れてはならない。これらは、あなたがたには汚れたものである。》、また同じく『申命記』14章8節に《また豚、これは、ひずめが分れているけれども、反芻しないから、汚れたものである。その肉を食べてはならない。またその死体に触れてはならない。》とあるが、それを気にしていられないほど窮していたのであろう。
- ^ 息子の悔い改めに先行して父の赦しがあった。
- ^ 場崎 洋 『イエスのたとえ話』p.159
- ^ ルカによる福音書(12章1節)
- ^ 場崎 洋 『イエスのたとえ話』pp.170-175
- ^ 場崎 洋 『イエスのたとえ話』p.174
- ^ 創世記(2章15節-3章24節)
- ^ 場崎 洋 『イエスのたとえ話』pp.163-164
- ^ Craig, Hardin (1950-04-01). “Morality Plays and Elizabethan Drama” (英語). Shakespeare Quarterly 1 (2): 64–72. doi:10.2307/2866678. ISSN 0037-3222 .
- 1 放蕩息子のたとえ話とは
- 2 放蕩息子のたとえ話の概要
- 3 文化的影響
- 4 外部リンク
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