免罪符とは? わかりやすく解説

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免罪符

読み方:めんざいふ

免罪符(めんざいふ)とは、主に中世ヨーロッパにおいて教会が罪の赦し与え証文である。免罪符は、罪の贖い教会への寄付引き換え発行され、罪の軽減や罰の免除約束される。免罪符は、カトリック教会において、信者救済目的として用いられたが、後に悪用されることが多くなり、宗教改革きっかけとなった

免罪符は、教皇司教発行し信者購入することで、罪の償いができるとされた。購入者は、自身他者の罪を赦すことができ、また、煉獄からの解放死後の楽園への道が開かれる信じられていた。免罪符の販売は、教会財政支え重要な収入源であり、建築資金教会活動資金調達役立てられた。

しかし、免罪符の販売は、教会権威損な要因となった教会高位聖職者私腹を肥やすために免罪符を悪用し信者だまして金銭巻き上げることがあった。このような悪行が広まるにつれ、免罪符の信憑性失われ教会権威揺らぐことになった

16世紀に入ると、ドイツの宗教改革マルティン・ルターが免罪符の悪用糾弾し95カ条の論題発表した。これが宗教改革始まりであり、プロテスタント教会誕生つながった宗教改革結果、免罪符の販売廃止されカトリック教会改革迫られることになった

現代では、免罪符は比喩的に用いられることが多い。例えば、法や規則破っても罰を受けないことを保証する証文や、悪事働いて責任逃れるための言い訳などを指すことがあるこのような用法は、免罪符がもともと持っていた罪の赦しや罰の免除という意味合い反映している。

免罪符

読み方:めんざいふ

「免罪符」とは、「罪を逃れるためのもの」「責任非難罪悪感などから逃れて自らの行動考え方正当化する理由となるもの」を意味する語。歴史の用語を転用し表現である。

「免罪符」は、もともとは西洋史宗教史の用語で、中世カトリック教会発行した「罪の償い免れるための証書」のことである。「贖宥状」ともいう。原語ラテン語の「Indulgentia」である。時の教会がこの免罪符を収入源として乱造乱発し、そのこと神学者ルター糾弾ここから「宗教改革」大きな流れつながったとされる

今日では「免罪符」は、「普通ならできないことしてもよい思わせる許される理由口実の意味用いられている。比喩的な用法である。

用例・文例


もっとも、歴史宗教用語としての Indulgentia は、今日では「免罪符」ではなく贖宥状」と訳されることが多い。そのため「免罪符」という言葉通俗的な用法でのみ用いられる状況になりつつある。

なお英語では「免罪符」を指す言葉indulgence)は一般名詞でもあるため、日本語の「免罪符」のように「歴史用語としての免罪符を比喩的に用いる」ことにはならない

めんざい‐ふ【免罪符】

読み方:めんざいふ

カトリック教会善行献金など)を代償として信徒与えた一時的罪に対する罰の免除証書中世末期教会財源増収のため乱発された。1517年聖ピエトロ大聖堂建築のための贖宥(しょくゆう)に対しルターがこれを批判宗教改革発端となった贖宥状

罪や責めまぬがれるためのもの。

「免罪符」に似た言葉

めんざいふ 【免罪符】


免罪符

作者山村正夫

収載図書怪奇標本室
出版社双葉社
刊行年月1986.4
シリーズ名双葉文庫

収載図書恐怖アルバム
出版社出版芸術社
刊行年月1994.11
シリーズ名ふしぎ文学館


免罪符

作者海渡英祐

収載図書突込んだ首
出版社徳間書店
刊行年月1990.4
シリーズ名徳間文庫


免罪符

作者赤川次郎

収載図書教室正義闇からの声
出版社角川書店
刊行年月2006.2
シリーズ名カドカワ・エタンテインメント

収載図書教室正義闇からの声
出版社角川書店
刊行年月2007.1
シリーズ名角川文庫


贖宥状

(免罪符 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/07 03:41 UTC 版)

贖宥状(しょくゆうじょう、ラテン語: indulgentia)とは、16世紀カトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書。免償符(めんしょうふ)、贖宥符(しょくゆうふ)とも呼ばれる。当時、レオ10世が財政難だったため、贖宥状を発行した。マルティン・ルターが批判していた。

また、日本においては免罪符(めんざいふ)とも呼ばれ、「罪のゆるしを与える」意味で、責めや罪を免れるものや、行為そのものを指すこともある。[注 1]

贖宥状の概念

キリスト教(カトリック教会)では、洗礼を受けた後に犯した罪は、告白(告解)によってゆるされるとしていた。西方教会で考えられた罪の償いのために必要なプロセスは三段階からなる。まず、犯した罪を悔いて反省すること(痛悔)、次に司祭に罪を告白してゆるしを得ること(告白)、最後に罪のゆるしに見合った償いをすること(償い)が必要であり、西方教会ではこの三段階によって、初めて罪が完全に償われると考えられた。古代以来、告解のあり方も変遷してきたが、一般的に課せられる「罪の償い」は重いものであった。

キリスト教に限らず、世界の多くの宗教に、宗教的に救済を得たいなら善行功徳を積まなくてはならないとする「因果応報」や「積善説」という考え方がある[2]。カトリック教会は、救われたい人間の自由意志が救済のプロセスに重要な役割を果たすとする「自由 意志説」に基づいた救済観を認め、教会が行う施しや聖堂の改修など、教会の活動を補助するために金銭を出すことを救済への近道として奨励した[2]

贖宥状販売の歴史的経緯

贖宥状は元々、イスラームから聖地を回復するための十字軍従軍したものに対して贖宥を行ったことがその始まりであった。従軍できない者は寄進を行うことでこれに代えた。

教皇ボニファティウス8世の時代に聖年が行われるようになり、ローマ巡礼することで贖宥がされると説かれた。

後に教皇ボニファティウス9世の時代に、教会大分裂という時代にあって、ローマまで巡礼のできない者に、同等の効果を与えるとして贖宥状が出された。これはフランスなどの妨害で巡礼者が難儀することを考えての措置であった。その後も、様々な名目でしばしば贖宥状の販売が行われていた。

教皇レオ10世サン・ピエトロ大聖堂の建築のための全贖宥を公示し、贖宥状購入者に全免償を与えることを布告した。中世において公益工事の推進のために贖宥状が販売されることはよく行われることであったが、この贖宥状問題が宗教改革を引き起こすことになる。

宗教改革がヨーロッパ全域の中で特に神聖ローマ帝国(ドイツ)で起こったことには理由があった。ドイツで最も大々的に贖宥状の販売が行われたからである。この大々的な販売は当時のマクデブルク大司教位とハルバーシュタット司教en:Bishopric of Halberstadt)位を持っていたアルブレヒトドイツ語版英語版の野望に端を発していた。彼はブランデンブルク選帝侯ヨアヒム1世の弟であり、兄の支援を受けて、選帝侯として政治的に重要なポストであったマインツ大司教位も得ようと考えた[3]

だが本来、司教位は1人の人間が1つしか持つことしかできないものである。そのためアルブレヒトは、ローマ教皇庁から複数司教位保持の特別許可を得るため多額の献金を行うことにし、その献金をひねり出すため、フッガー家の人間の入れ知恵によって秘策を考え出した。それは自領内でサン・ピエトロ大聖堂建設献金のためという名目での贖宥状販売の独占権を獲得して稼ぐというものであった。こうして1517年、アルブレヒトは贖宥状販売のための「指導要綱」を発布し、ヨハン・テッツェルというドミニコ会員などを贖宥状販売促進のための説教師に任命した。アルブレヒトにとって贖宥状が多く売れれば自分の手元に収益が入り、献金によってローマ教皇庁の心証も良くなるという思惑であった。贖宥状は盛んに売られ、人々はテッツェルら説教師の周りに群がった。

しかし、義化の問題に悩みぬいた経験を持つ聖アウグスチノ修道会マルティン・ルターにとって、贖宥状によって罪の果たすべき償いが軽減されるというのは「人間が善行によって義となる」という発想そのものであると思えた。そしてルターが何より問題であると考えたのは、贖宥状の販売で宣伝されていた「贖宥状を買うことで、煉獄霊魂の罪の償いが行える」ということであった。本来は罪のゆるしに必要な秘跡の授与や悔い改め無しに、金銭で贖宥状を購入することのみで煉獄の霊魂の償いが軽減される、という考え方をルターは贖宥行為の濫用であると感じた(テッツェルのものとしてよく引用される「贖宥状を購入してコインが箱にチャリンと音を立てて入ると霊魂が天国へ飛び上がる」という言葉は、この煉獄の霊魂の贖宥のことを言っている)。

この煉獄の霊魂の贖宥の可否についてはカトリック教会内でも議論が絶えず、疑問視する神学者も多かった。ルターはアルブレヒトの「指導要綱」には贖宥行為の濫用がみられるとして書簡を送り、1517年11月1日ヴィッテンベルク大学の聖堂の扉にもその旨を記した紙を張り出し、意見交換を呼びかけた(当時の大学において聖堂の扉は学内掲示板の役割を果たしていた)。

ルターはこの一枚がどれほどの激動をヨーロッパにもたらすかまだ知らなかった。これこそが『95ヶ条の論題』である。ルターはこれを純粋に神学的な問題として考えていたことは、論題が一般庶民には読めないラテン語で書かれていたことからも明らかである。しかし、その後、神聖ローマ帝国の諸侯たちの思惑によって徐々に政治問題化し、諸侯と民衆を巻き込む宗教改革の巨大なうねりの発端、すなわちプロテスタントの勃興となった。

カトリック教会はヨーロッパ諸国に広がった宗教改革の動きに対し対抗宗教改革を行って綱紀粛正を図った。その結果、トリエント公会議の決議により贖宥状の金銭による売買は禁止されることになった。なお、贖宥状の金銭での売買は禁じられたが、発行そのものは禁止されておらず、以後も行われた。

脚注

注釈

  1. ^ 「免罪符」という翻訳は誤訳であると韓国カトリック協議会は表明している[1]

出典

  1. ^ 「免罪符」と誤訳されるカトリック用語「大赦」(indulgence)について、韓国カトリック協議会(Catholic Bishops' Conference of Korea)報道資料、2011-03-14
  2. ^ a b 小泉徹『宗教改革とその時代』山川出版社 2010年、第1版10刷、ISBN 9784634342705 pp.27-29
  3. ^ 世界歴史大系『ドイツ史1』先史-1648年,成瀬治山田欣吾木村靖二/編,山川出版社,1997,ISBN 463446120X,p430

関連項目


「免罪符」の例文・使い方・用例・文例

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