糾弾
別表記:糺弾
不祥事や汚職などの疑惑をもとに非難・咎め立てし、職責を問い質す、という意味で用いられる表現。政治家や組織の幹部などの要職にある者が、地位ある者としてあるまじき行為を行ったとして、非難、批判、辞職要求などを行うことを指す場合が多い。
糾弾に似た語としては「非難」や「批判」あるいは「弾劾」「誹議」などが挙げられる。非難・批判は悪を悪として叩くという意味合いが強いが、これに対して糾弾は引責と改善・再発防止まで含む意味合いが色濃い。弾劾は「責任を追及する」という意味合いでは糾弾と共通するが、裁判における罷免手続きを指す用語として用いられることが多く、その他の一般的な文脈で用いられることは少ない。誹議は表現そのものが古びた語彙となっており今日ではめったに用いられない。
糾弾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/20 23:56 UTC 版)
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関連項目
- 確認・糾弾 - 部落解放同盟などによる確認・糾弾の記事
糾弾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:21 UTC 版)
「広島県での同和解放同盟による教育介入」の記事における「糾弾」の解説
部落解放同盟は教職員組合にも強い影響力を持つようになり、校長ではなく部落解放同盟の指示に従う教員も増え、同和団体の教育への介入に反抗する学校管理職や教師は激しく糾弾されるようになった。これら「糾弾」などにより、1981年の桜丘小学校校長自殺を始め、1976年から1982年にかけて広島県東部で教育関係者の自殺は14名にもなり、その多くがすべて教育現場の同和問題担当者か、同和問題でもめている職場の管理職であった。 糾弾は、学校や自治体が生徒や公務員を動員して個人を攻撃する形でも行われた。例えば1981年には、解放同盟が狭山事件の「闘争勝利」ワッペンを全校生徒の制服に取り付けようとしたことに反対した職員に対して、学校が生徒を動員して長時間の糾弾をさせるという事件も起きている。三次市では自治体が特定職員を「差別教師」だとして糾弾ポスター数千枚を作成して市内あちこちに貼って回る、職務から外すなど、行政ぐるみの糾弾がおこなれた。職員会議では、誰がどのような発言を行ったかが逐一解放同盟に報告され、解放同盟の意向に逆らう発言をした教員は、校長であっても激しい糾弾が行された。後の総理大臣の宮澤喜一は、「たくさんの人がいわばリンチにあい、職を失い、あるいは失望して公職をやめる。それは無限にあります」と語っている。
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糾弾
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