ヒクソス政権の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 17:48 UTC 版)
「エジプト第15王朝」の記事における「ヒクソス政権の成立」の解説
ヒクソスによるエジプトの支配権確立の経緯について記す記録は1500年後のマネトによる記録しかない。 「トゥティマイオスの代に、原因は不明であるが、疾風の神がわれわれを打ちのめした。そして、不意に東方から、正体不明の闖入者が威風堂々とわが国土に進行して来た。彼らは、圧倒的な勢力を以て、それを簒奪し、国土の首長たちを征服し、町々を無残に焼き払い、神々の神殿を大地に倒壊した。また、同胞に対する扱いは、ことごとく残忍をきわめ、殺されたり、妻子を奴隷にされたりした。最後に彼等は、サリティスという名の王を1人、指名した。彼は、メンフィスに拠って上下エジプトに貢納を課し、最重要地点には守備隊を常駐させた。」マネト『エジプト史(AIGUPTIAKA)』より この記録に登場するトゥティマイオスは恐らく他の史料に登場するドゥディメス1世の事であると考えられる。彼の名はゲベルアイン(ルクソールの上流30キロメートルあたり)の石碑から発見されている。彼を含む南部の王達は、ヒクソスに従属しながら統治するに過ぎなかったであろうと見られる。 マネトによれば下エジプトのナイル川デルタ東部を制圧したヒクソスの王サリティス(またはサイテス)はアヴァリス市(現在のテル・アル=ダバア遺跡を建設し、そこを拠点にエジプトを支配したと言う。 彼らがエジプトを支配下に置いた時代は現在概ね紀元前17世紀半ばに比定されているが、ヒクソス時代の記録は乏しい。また、ヒクソスがエジプトに複合弓、戦車、新型の剣などを導入したという見解は広く受けられているが、考古学的な調査結果はこうした軍事的に優勢な異民族が大挙侵入してエジプトを占領したと言う見解を必ずしも支持しない。
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