ヒクソスの起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 15:44 UTC 版)
ヒクソスがどのような起源を持つのか、と言う問題はエジプト学における未解決の問題である。ヒクソスの権力掌握の過程を語る史料は1500年も後のマネトによる記録しかなく、ヒクソス関係の後代の史料は全て、外国人に対する偏見を強調する余り、酷く歪曲されている。 ヘカウ・カスウトという単語は、元来は字義通り外国人の首長、特にアジア人のそれを指す言葉として使用されていた。中王国時代に作られ、ベニ・ハサンに残る墳墓には、「異国の首長(ヘカウ・カスウト)アビシャイ」が37人のアジア人を率いてエジプトへ産物を運ぶ光景を描いたものがある。この単語が、エジプトを支配する異民族を指す呼称となったのは、実際にエジプトを支配するようになった異民族達がヘカ・カスウトの語を一種の尊称として使用するようになってからである。 エジプトを支配したいわゆる「ヒクソス」がどのようにして形成された集団であるのか、詳細には分からない。かつてエジプト学者ヴォルフガング・ヘルクを始め、何人かの学者はヒクソスとフルリ人を結びつけた議論を展開した。それは主に第2中間期の層から発見される土器が、北シリアで発見されるハブール土器やヌジ土器といったフルリ人と関連付けられる土器と同様の装飾を施されていたこと等を論拠としている。 フルリ人の概要、およびハブール土器、ヌジ土器についてはフルリ人の項目を参照 しかし、エジプト側で発見されている土器はハブール土器ともヌジ土器とも異なるタイプのものであり、ただ同じような装飾を施しているという点からヒクソスとフルリ人の関係を想定するのは困難であった。また、ヒクソスの人名はほぼセム語系といってよく、言語学的にヒクソスとフルリ人を結びつけるのも不可能であり、現在ではヒクソスとフルリ人とを関連付けた説は退けられている。インド・ヨーロッパ系の民族であるという想定がなされたこともあったが、やはり過去の説である。
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