第2中間期(第13 - 17王朝)
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「古代エジプト」の記事における「第2中間期(第13 - 17王朝)」の解説
第12王朝からエジプト第13王朝への継承はスムーズに行われ、制度その他もそのまま引き継がれたものの、王朝の統治力は急速に弱体化していった。この時期以降、エジプト第2中間期と呼ばれる混乱期にエジプトは突入していく。まず第13王朝期にはヌビアがエジプトから独立し、ついでエジプト第14王朝などいくつかの小諸侯が各地に分立したが、やがて紀元前1663年頃にはパレスチナ方面からやってきたとされるヒクソスという異民族によってエジプト第15王朝が立てられ、各地の小諸侯を従属させて覇権を確立した。下エジプトのアヴァリスに拠点を置いていた第15王朝に対し、一時は従属していたテーベを中心とする勢力がエジプト第17王朝として独立し、南北分立の体制となった。また、第15王朝は下エジプトのみならず、隣接するパレスチナも自らの勢力圏としていた。
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第2中間期
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第2中間期において、エジプトは異民族であるヒクソスの支配を受けた。
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第2中間期
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第13王朝以降は再び動乱のエジプト第2中間期に位置付けられているが、13王朝半ばまでは比較的平和な時代が続き、中央集権制度も維持されていた。その一方で、王権は徐々に形骸化し、末期には地方の貴族が再び力を保持し始める。 下エジプトではパレスティナ地域から移住してきた人々のコミュニティが形成され、やがて第14王朝が興って東デルタ地域を支配したが、それも飢饉や疫病などに見舞われて半世紀程で衰退、その後は新たにエジプトに侵入したヒクソスがエジプト北部に生じた政治的な空白を埋める。ヒクソスは積極的に支配を拡大し、第15王朝と、その宗主下に追随する諸侯の連合である第16王朝を樹立した。 土着のエジプト人は第13王朝を解体して上エジプトに本拠を移し、第17王朝を興した。テーベを都とするこの政権はヒクソスとの共存を図り概ね成功していたが、しばしば激しい対立も起きており、前1600年頃には一時的にテーベを占領され、宗主権を認めざるを得ない状況にまで追い込まれている。そのため断絶した前期の政権を第16王朝、ヒクソス撤退後に復興した後期の政権を第17王朝と呼ぶ場合もある。この不安定な情勢はイアフメス1世によってヒクソスが追放され、統一がなされる紀元前1570年ごろまで続いた。 王朝名在位(年)王名(英字表記)即位名第13王朝 前1802 - 1800年頃 セベクヘテプ1世(Sobekhotep I) セケムラークタウィ 前1800 - 1796年頃 セネブエフ(Sonbef) セメンカラー 前1796年頃 ネリカラー(Nerikare) 前1796年頃? - 1793年頃? アメンエムハト5世(Sekhemkare) 前1795年頃? - 1792年頃? アメニ・ケマウ(Ameny Qemau) 前1792年頃? - 1790年頃? セヘテプイブラー(Sehetepibre) 前1790年頃 - 1788年? イウフニ(Iufni) 前1788年頃? - 1785年頃? アメンエムハト6世(Amenemhet VI) スアンクイブラー 前1785年頃 - 1783年頃? ネブヌイ(Semenkare Nebnuni) セメンカラー 前1783 - 1781年頃 サホルネジュヒルイオテフ(Hotepibre) ヘテプイブラー セワジカラー(Sewadjkare) 前1780年頃 ネジェムイブラー(Nedjemibre) 前1780 - 1777年頃 セベクヘテプ2世(Sobekhotep II) カーアンクラー 前1777年頃 レンイセネブ(Renseneb) 前1777 - 1775年頃 ホル(Hor) アウイブラー 前1775 - 1772年頃 カバウ(Sekhemrekhutawy Khabaw) セケムラークタウィ 前1772 - 1770年頃 ジェドケペルウ(Djedkheperew) セブカイ(Sebkay) 前1769 - 1766年頃 アメンエムハト7世(Sedjefakare) セドジェファカラー 1766 – 1765 ウガエフ(Khutawyre Wegaf) クタウィラー 前1765年頃 - 1761年頃 ケンジェル(Khendjer) ウセルカラー イミロメシャ(Imyremeshaw) セメンクカラー アンテフ4世(Intef IV) セヘテプカラー ? - 前1745頃 セティ(Seth Meribre) メリイブラー 前1755年頃 - 1751年頃 セベクヘテプ3世(Sobekhotep III) セケムラー・セワジタウイ 前1751年頃 - 1740年頃 ネフェルヘテプ1世(Neferhotep I) サハトホル(Menwadjre Sihathor) メンジワラー 前1740年頃 - 1730年頃 セベクヘテプ4世(Sobekhotep IV) カーネフェルラー セベクヘテプ5世(Sobekhotep V) メルヘテプラー 前1717年頃 - 1712年頃 セベクヘテプ6世(Sobekhotep VI) カーヘテプラー 前1712年頃 - 1701年頃 イアイブ(Wahibre Ibiau) ワフイブラー 前1701年頃 - 1677年頃 アイ(Ay) メルネフェルラー 前1680年頃 - 1678年頃 イニ1世(Ini I) 前1678年頃 - 1675年頃 セワジュトゥ(Sankhenre Sewadjtu) スアンクエンラー 前1675年頃 - 1672年頃 イネド(Mersekhemre Ined) メルセケムラー 前1672年頃 - 1667年頃 ホリ(Sewadjkare Hori) スワジカラー 前1667年頃 - 1665年頃 セベクヘテプ7世(Sobekhotep VII) メルカウラー ネフェルヘテプ2世(Neferhotep II) セケムラー・スアンクタウイ メンチュヘテプ5世(Mentuhotep V) スワジエラー イニ2世(Ini II) メルシェプセスラー 第14王朝 ? ネヘシ(Nehesy) アアセフラー 第15王朝(ヒクソス朝) 前1668年頃 - 1652年頃 サリティス(Salitis) マアイブラー 前1652年頃 - 1638年頃 シェシ(Sheshi) マアイブラー 前1638年頃 - 1630年頃 ヤコブヘル(Yakubher) メルウセルラー 前1630年頃 - 1610年頃 キアン(Khyan) セウセルエンラー 前1610年頃 - 1570年頃 アペピ1世(Apepi I) アウセルラー 前1570年頃? - 1560年頃? アペピ2世(Apepi II) アケンエンラー 前1570年頃? - 1560年頃? カムディ(Khamudi) 第16王朝 ? アナテル(Anather) - ? ヤコブアアム(Yakobaam) - 第16王朝/第17王朝前期(テーベ) 前1648年頃 - 1645年頃 ジェフウティ(Djehuti) セメンタウィ 前1645年頃 - 1629年頃 セベクヘテプ8世(Sobekhotep VIII) セケムラー・セウセルタウィ 前1629年頃 - 1628年頃 ネフェルヘテプ3世(Neferhotep III) セケムラー・スアンクタウィ 前1628年頃 - 1627年頃 メンチュヘテプ6世/メンチュホテプイ(Mentuhotepi) セアンクエンラー 前1627年頃 - 1601年頃 ネブイリアウ1世(Nebiryraw I) スワジエンラー 前1601年頃 ネブイリアウ2世(Nebiriau II) 前1601年頃 - 前1600年頃 セムエンラー(Semenre) 前1600年頃 - 1588年頃 ベビアンクウ(Bebiankh) セウセルエンラー 前1588年頃 - 1587 シェドウアセト(Shedwast) セケムラー 1587 – 1586 デドゥメス1世(Dedumose I) ジェドヘテプラー デドゥメス2世(Dedumose II) ジェドネフェルラー メンチュエムサフ(Montemsaf) ジェドアンクラー メンチュヘテプ7世(Mentuhotep VII) メルアンクラー センウセレト4世(Senusret IV) スネフェルイブラー 第17王朝(テーベ) 前1580年頃 - 1576年頃 ラーヘテプ(Rahotep) ウアカウ 前1576年頃 - 1573年頃 セベクエムサフ1世(Sobekemsaf I) セケムラー・シェドタウイ 前1573年頃 - 1571年頃 アンテフ5世(Sekhemre-Wepmaat Intef) ウェプマアト 前1571年頃 - 1569 アンテフ6世(Nubkheperre Intef) ネブケペルラー 1569 – 1567 アンテフ7世(Sekhemre-Heruhirmaat Intef) ヘルウヘルマアト 前1567年頃 - 1560年頃 セベクエムサフ2世(Sobekemsaf II) ウアジカウ 前1560年頃 - 1559年頃 イアフメス/タア1世(Senakhtenre Tao I) セナクトエンラー 前1559年頃 - 1555年頃 タア2世(Seqenenre Tao II) セケンエンラー 前1555年頃 - 1550年頃 カーメス(Kamose) ウアジケペルラー
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