エジプト第13王朝
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エジプト第13王朝(エジプトだい13おうちょう、紀元前1782年頃 - 紀元前1650年頃[注釈 1]または紀元前1803年頃 - 紀元前1649年頃)は、古代エジプトの王朝。
注釈
- ^ 紀元前1650年頃と言う終了年はクレイトンに依るが[1]、西村はこの年代は中王国の終わりを指すものであり、第13王朝は更に継続しているとする[2]。実際に第13王朝がいつの時点で終わったのかは不明である。
- ^ 前者の例としてフィネガン 1983, 屋形 1998がいる。スペンサー 2009は、中王国と第2中間期の両方に分類している。
- ^ エジプト学の文脈では、アジア人と言う用語はレヴァントやシリア、アナトリア地方南岸の人々を指す意味で使用される。
- ^ クレイトンは『ファラオ歴代誌』にて初代にウガエフを配置している[1]。
- ^ セベクヘテプ4世は、前2世紀のアレクサンドリアのユダヤ人アルタバヌスの記録の中で「メンフィスより上流地方の王」と記されているケネフェレス王であるかもしれない。ナイル川下流域に対する第13王朝の支配が弱まった事を反映した記録であるといわれる[19]。
- ^ ヒクソスとは「異国の支配者達」を意味する古代エジプト語、ヘカウ・カスウトのギリシア語形である。この語は数百年以上前からシリア、パレスチナ方面の首長達を指す語であったが、やがてエジプトで支配権を握ったアジア系の王を指す語として転用された。しかし同じ名前で呼ばれているとは言っても、数百年前のシリア・パレスチナの政治勢力といわゆる「ヒクソス」を同一視することはできない[23]。詳細はヒクソス、エジプト第15王朝、エジプト第2中間期等を参照。
- ^ マネトは紀元前3世紀のエジプトの歴史家。彼はエジプト人であったが、ギリシア系王朝プトレマイオス朝に仕えたためギリシア語で著作を行った。
出典
- ^ a b クレイトン 1999 p.115
- ^ “第13王朝(紀元前1,773〜1,650年頃)”. 古代エジプト史料館. 2017年5月29日閲覧。
- ^ a b c 屋形ら 1998, pp.443
- ^ a b クレイトン 1999, pp.115-116
- ^ a b c d e f g h ドドソン, ヒルトン 2012, p.100
- ^ a b c d クレイトン 1999, p.116
- ^ フィネガン 1983, p.288
- ^ スペンサー 2009, p.47
- ^ ドドソン, ヒルトン 2012, p.95
- ^ クレイトン 1999, pp.113-114
- ^ クレイトン 1999, p.114
- ^ a b c d e f g 屋形ら 1998, p.442
- ^ “13th Dynasty (1783-1640)” (英語). The Ancient Egypt Site. 2017年5月29日閲覧。
- ^ a b c ドドソン, ヒルトン 2012, p.104
- ^ a b c ドドソン, ヒルトン 2012, p.101
- ^ a b ドドソン, ヒルトン 2012, p.102
- ^ a b c d e ドドソン, ヒルトン 2012, p.103
- ^ 屋形ら 1998, pp.442-443
- ^ a b c d フィネガン 1983 p.287
- ^ 屋形ら 1998, pp.443-444
- ^ フィネガン 1983 p.288
- ^ 近藤 1997, pp.114-116
- ^ セーテルベルク 1973, p.150
- ^ “マネトーン断片集 第13王朝”. Barbaroi!. 2017年5月29日閲覧。
- ^ フィネガン 1983 pp.286-287
- ^ a b “The Second Intermediate Period” (英語). PHARAOH.SE. 2017年5月30日閲覧。 左記サイトを参考にした。
- ^ a b c ドドソン, ヒルトン 2012, pp.102,104
- ^ フィネガン 1983, p.286
- ^ a b ドドソン, ヒルトン 2012, pp.106-107
- 1 エジプト第13王朝とは
- 2 エジプト第13王朝の概要
- 3 概要
- 4 脚注
第13王朝(前1782年-前17世紀)
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「エジプト中王国」の記事における「第13王朝(前1782年-前17世紀)」の解説
「エジプト第13王朝」も参照 「エジプト第2中間期」も参照 第12王朝末期に王位継承の混乱の後、女王セベクネフェルが即位。その後まもなく第13王朝が成立した。第13王朝は王権が弱く、数多く知られている王達の在位中の治績はほとんど不明である。また、第13王朝の王達は同一の家系にも属していなかった。しかし、整備された官僚制と官職を世襲する官僚達、そして統括者である宰相を中心に国家機構は正常に運営された。後半には下エジプト地方で、アジア系と見られる首長達が独自の政権(第14、15王朝)を築きエジプトの統一は崩れた。
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