アイ (第13王朝のファラオ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/04 09:08 UTC 版)
メルネフェルラー・アイ | |
---|---|
Merneferre Ay | |
![]() アイ王のピラミディオンの彫刻 | |
古代エジプト ファラオ | |
統治期間 | 紀元前1700年頃 - 紀元前1677年頃,エジプト第13王朝 |
前王 | イアイブ |
次王 | イニ1世 |
ファラオ名 (五重称号)
| |
子息 | イニ1世? |
メルネフェルラー・アイ(Merneferre Ay, 在位:紀元前1700年頃 - 紀元前1677年頃)は、古代エジプト第13王朝の第27代あるいは32代ファラオ(王)。
概要
トリノ王名表の第7欄3行目に記されている。在位期間は23年8ヵ月と18日とあり、これは第13王朝における最長の統治期間である。前王イアイブとの関係は不明だが、後継者のイニ1世は彼の息子だったと思われる。
彼の名前が刻まれたピラミディオンが出土していることから、治世中にピラミッドを完成させたと思われ、その場所はメンフィスの何処かであると考えられている。
アイは上下エジプトにその名を記した記念建造物を残す最後の王であった。これは彼が双方の地域を支配した最後の王であることを示している[1]。また、彼が即位する以前から、デルタ地方の東部は既に、第14王朝と呼ばれる新たな勢力の下に第13王朝政府から独立して王権を主張していた[2]。アイ王自身もその治世の長さに反して、記録が多く残っているとは言えず、王国が末期的な状態にあった事を匂わせている。第12王朝以来、長年に渡ってエジプトの王都に定められていたイチ・タウイは彼の治世中かその直後に放棄されたと思われる。そのため、一部の研究者はアイ王を中王国時代最後の王と見なしている。その証拠に、彼以降の王たちの名前が彫られた遺物は、いずれも上エジプトからしか発見されておらず、それも最終的には王の名前さえも判別できないほど断片的なものとなる。そのため第13王朝がいつ頃終焉を迎えたのか、正確な年代を特定するのは困難となっている。
脚注
- ^ クレイトン 1999, p.116
- ^ 屋形ら 1998, pp.443-444
参考文献
- ピーター・クレイトン『古代エジプトファラオ歴代誌』吉村作治監修、藤沢邦子訳、創元社、1999年4月。ISBN 978-4-422-21512-9。
- エイダン・ドドソン、ディアン・ヒルトン『全系図付エジプト歴代王朝史』池田裕訳、東洋書林、2012年5月。ISBN 978-4-88721-798-0。
- “第13王朝(紀元前1,773〜1,650年頃)”. 古代エジプト史料館. 2017年5月29日閲覧。
|
|
|
「アイ (第13王朝のファラオ)」の例文・使い方・用例・文例
- アイバンク
- アイロン台
- ドライアイスは炭素と酸素に分解する
- 彼のアイデアは必ず反対されるだろう
- そのアイディアは上司に許可をもらっておいた方がいいだろう
- アイスクリームコーン
- アイスクリーム
- 人のアイデアを盗むのは道義的によくない
- ケネディ家はアイルランド系である
- アイロンがけを行う
- ふた盛りのアイスクリーム
- 斬新なアイデアがまったく生まれない頭
- 彼のアイデアは私が理解するのに十分明確なものだった
- 彼女のアイデアはあらゆる点で彼のよりも優れている
- 私のコンピュータ用にいくつかの追加アイテムを注文した
- あの店では20種類の違った味のアイスクリームを売っている
- 彼のアイディアの原点はさらに遠くカントまでさかのぼる
- あるアイデアの芽生え
- 彼女はブラウスに自分でアイロンをかけた
- そんなにアイスクリームを食べてはいけない
- アイ_(第13王朝のファラオ)のページへのリンク