第13・14王朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:35 UTC 版)
マネトはセベクネフェルウまでを第12王朝とし、それ以降を第13王朝と区分しているが、この第13王朝自体も単一の家系ではない非常に多数の王で構成されていた。様々な記録により、第13王朝は70~80年の間で約57名の王が確認される。しかし、中王国時代のセンウセレト3世によって確立された優れた官僚機構のおかげで、職人集団も引き続いて活躍を続けているなどその生活には余裕すらあったとされる。しかしながら王権の弱体化に伴い官僚機構にも乱れが生じ、デルタ地帯の東側が13王朝より分離し、第14王朝が成立した。第14王朝の王は断片的な記録も含めて約53人もの王が確認されているが、その業績はほとんど何も分かっていない。第14王朝は非常に限られた支配領域しか持たず、弱小であり、並列していた第13王朝と交戦する余裕も無かったようである。
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