王権の弱体化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 03:55 UTC 版)
ラムセス3世の死後、王子であったラムセス4世が即位した。彼を含む8人の王については具体的なことがほとんどわかっていない。その後、ラムセス5世、ラムセス6世、ラムセス7世、ラムセス8世が次々と即位したが、彼らの治世年を合計しても30年余りでしかなく、王位が不安定になっていたことが見て取れる。わずかに残る記録によれば、ラムセス5世の時代には内戦が発生した。これは重要都市テーベにまで不安を与えるものであったらしく、王家の谷の労働者達が恐怖を感じて逃亡したと言う。ラムセス6世の時代までにはシリア・パレスチナに対する支配が完全に失われ、シナイ半島も喪失して国境線は下エジプト東部まで後退した。経済的な不安も続いており、王権もエジプトの国威も全く振るわなかった。ラムセス9世は比較的長期間の治世を持ったが、やはり王権の衰退傾向は変わらなかった。厳重に管理されているはずの王家の谷においてさえ墓泥棒が跋扈するようになっていたことが記録に残されている。 ほとんど何の情報も無いラムセス10世の治世を経て、紀元前11世紀初頭に最後の王となるラムセス11世が即位した。ラムセス11世が即位した時、既にエジプトはオリエントの大国としての実態も面目も喪失しつつあった。そしてその治世の間にエジプトの統一は失われてしまうことになる。 弱体化していたエジプトの地位を示す証拠とも言われるのが、木材を得るためにビュブロスに派遣されたウェンアメン(Wenamun)が記録した『ウェンアメンの物語(英語版)』である。エジプトの使者であるはずのウェンアメンに対し、ビュブロス王のザカルバール(英語版)の態度は終始冷たく、周辺でもウェンアメンはしばしば命の危機にさらされるような状態であった。もはやエジプトの使者であることが身の安全を保障するものではなかった事が明らかである。
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