王権の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 09:38 UTC 版)
各地に成立した「王国」の支配者達の実像は不明瞭である。しかし彼等が作り上げた「王国」や「王権」はその後のエジプト王朝の土台となった。それを窺い知る事ができるのは彼等の墓から発見された威信材からであり、代表的な物として象牙製品(護符や櫛など)、波状把手土器、棍棒、パレット[要曖昧さ回避](化粧板)等がある。このうち、棍棒とパレットは後世のエジプト歴代王朝を通じて王の権力のシンボルとして取り扱われたもので、先王朝時代末の、あるいは初期王朝時代初頭の王であるサソリ王やナルメルのメイスヘッド、パレットに繋がっていく。棍棒で敵を打ち据えるモチーフの図像がこの時期のヒエラコンポリスで初めて登場するが、このモチーフの表現形式はプトレマイオス朝時代まで3000年以上に渡って連綿とエジプトで受け継がれることになる。ヒエラコンポリスでは100号墓と呼ばれる大型の墓から、上述の図像の他に王権に関係すると思われる図像表現が多数発見されている。ナカダ2期中頃までにはヒエラコンポリスは人口も増大し、上エジプト地域を統合した政治連合(国)の中心として機能するようになっていたとする説もある。
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