王権の強化、財政改革とは? わかりやすく解説

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王権の強化、財政改革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 05:54 UTC 版)

ポルトガルの歴史」の記事における「王権の強化、財政改革」の解説

これまでポルトガル経済支えていたブラジル砂糖生産1670年代から衰退し、また富裕層によるイギリス毛織物フランスイタリア贅沢品輸入量の増加によってポルトガル経済状況悪化する1675年財政長官のエリセイラ伯はフランスコルベール重商主義政策倣った財政改革実施しフランスイギリス熟練工招聘繊維工場の開設拡張をおこなうとともに国産品保護のため輸入品使用禁止する法令発布した。しかし、カダヴァル公爵やアレグレッテ侯爵などのイギリスへワイン輸出求め勢力イギリス製品締め出しを望まず、ブラジルからの金の流入量が増加すると、工業化への熱意失われていく。そして金の流入によって貿易赤字解消された後、人々粗悪な国産品ではなく法律犯して輸入品買い求めるようになった1690年にエリセイラ伯は自殺しポルトガル経済不況から脱する工業化頓挫する。 ジョアン5世ブラジルの金によって得た経済力元にこれまで国政深く関わってきた大貴族排除し絶対王政の確立志向した。金は王室多大な収入もたらしたためにコルテス招集する必要性薄れポルトガル革命後の1822年まで開催されない状況が続くことになる。しかし、貴族聖職者都市異端審問所が持つ伝統的な特権習慣介入することはできず、国王が行使できる権力には制約かけられていた。ジョアン5世国家威信回復図って対外戦争参戦しスペイン継承戦争ではオーストリアイギリスオランダに与し1713年ユトレヒト条約ラプラタ川北岸サクラメント獲得する1750年スペインとの間で締結されマドリード条約で、ポルトガルサクラメント割譲引き換えトルデシリャス条約取り決められ境界線越えて西に広がっていた土地領有権認めさせ、ブラジル境界線がほぼ確定する1717年には教皇庁要請に応じて対トルコ戦争参加しマタパン岬沖の海戦ポルトガル艦隊勝利を収めた戦争での活躍寄進によってリスボン大司教教皇庁から総大司教区と枢機卿称号付与され多額資金投入して総大司教座教会建立される。スペイン継承戦争後、ポルトガルヨーロッパ諸国係争に対して積極的に関与せず中立的な立場をとり、50年近い安定享受することができた。 16世紀半ばからポルトガル学芸国家教会監視によって衰退し、また連合王国成立に伴う宮廷消滅もあって、ポルトガル文化の発展停滞していた。こうした状況下でブラジルから流入した金は建築分野華美なバロック様式もたらし金泥木彫(ターリャ・ドラーダ)と絵タイルアズレージョ)によって飾られ建築物現れた。 ジョアン5世死後即位したジョゼ1世啓蒙主義者のセバスティアン・デ・カルヴァーリョ(ポンバル侯)を起用し、「上からの近代化」を推進する1755年11月1日ポルトガル南西部大地震発生し震源地に近いリスボン多大な被害を受け、建築物美術品書籍など失われるリスボン地震 (1755年))。震災事後処理活躍したポンバル侯はリスボン市街地再建進めジョゼ1世からの信頼勝ち取った1758年国王暗殺未遂事件の後に貴族勢力弾圧され、翌1759年ポルトガルブラジル両方強い影響力持っていたイエズス会士追放されるイエズス会同様に強権有していた異端審問所1774年までに国家統制下に置かれ火刑廃止されるイエズス会士追放契機ジョアン5世治世からの課題となっていた教育改革実施されイエズス会によって運営されていたエヴォラ大学閉鎖され1772年にはコインブラ大学カリキュラム組織2世紀半ぶりに再編された。初等・中等教育には学制導入され自国語の教育強化した結果中間層識字率向上する身分平準化進展し1760年にはポルトガル本国奴隷制廃止され1773年には異端審問所によって設けられていた新キリスト教徒と旧キリスト教徒区別廃止される1777年ジョゼ1世没した後ポンバル侯は失脚するが、彼が取った重商主義政策継承された。ポンバル侯によって育成されポルトガルマニュファクチュア成長しアメリカ独立戦争フランス革命の影響受けてブラジルからの輸出品価格高騰し1807年フランス軍侵入までポルトガル好況続いた。しかし、ブラジルではマニュファクチュア廃止されたために現地繊維産業製鉄業打撃を受け、1780年代から金の産出量が減少したために失業者増加し社会緊張高まっていた。ブラジルポルトガル本国からの搾取対する不満が高まり1789年ミナスの陰謀1798年バイーアの陰謀といった本国からの独立を図る反乱企てられた。その一方でポルトガル宮廷にはスペインからの脅威避けるため、恵まれた富を有するブラジルへの遷都提案する意見があり、ブラジル支配者層利権維持しつつ、植民地条例からの脱却求め最良方法として宮廷移転望んでいた。

※この「王権の強化、財政改革」の解説は、「ポルトガルの歴史」の解説の一部です。
「王権の強化、財政改革」を含む「ポルトガルの歴史」の記事については、「ポルトガルの歴史」の概要を参照ください。

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