絶対王政の確立
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1654年、スウェーデンの王位に就いたカール10世はポーランドとの因縁の解消を目的として北方戦争を開始した。これを目にしたデンマークのフレデリク3世は失地奪還の絶好の機会とみなし、1657年スウェーデンに対して宣戦しブランデンブルク選帝侯フリードリヒとともにカール・グスタフ戦争を開始した。しかし、カール10世はポーランドから転進してユトランドへ攻め入り、翌年にはシェラン島に上陸、ロスキレの和議を締結したことにより、スウェーデンはスコーネ、トロンハイム、ブレーキンゲなどの地域を獲得した。しかしオランダやブランデンブルクがデンマークに助勢したため戦局は滞り、1660年の持久戦の最中にカール10世は病没した。カール10世の死を受け、フランスやイングランドなどが仲介に入ったことでスウェーデンはオリヴァ条約とカディス条約で各国と講和、カール・グスタフ戦争を含む北方戦争は終結をみた。相次ぐ戦争によりスウェーデンの財政は逼迫し、膨れ上がる戦費を賄うためにスウェーデンは貴族に国土の売却を行っていた。こうした問題を解決するため、1672年に親政を始めたカール11世は、先の戦争における貴族たちの失政を厳しく追及し、土地貴族の勢力の減殺に動いた。1680年、1682年、1686年と度々土地改革法を制定し、多大な所領の回復に成功すると王権はますます強大になった。北方戦争後のスウェーデンは国力が低下し、スコーネ戦争などで苦戦を強いられたが、フランスの助勢と外交面での改善もあって戦後、財政と軍事の復興に成功し、国力の回復とともにバルト海の権益も元に服すこととなった。 一方、デンマークはクリスティアン4世の即位以来弱体化の一途を辿り、国威は大いに失墜した。しかし内政面から見ると貴族に圧迫を加え、産業の振興に尽力したクリスティアン4世の人気は高く、同様の政策を執ったフレデリック3世も市民の支持を得た。これを背景として国会で市民出身議員および聖職者出身議員と提携して王権強化を画策し、1660年には国王の絶対主権を呈上するに至った。これにより選挙王制は撤廃され、デンマークの絶対王政が確立した。フレデリク3世は国内体制の刷新をはかり、国力の充実に尽力し、続くクリスチャン5世もこの方針を引き継いた。クリスチャン5世はスウェーデンへの報復を行い、スコーネ戦争で優位に立ちながら勝利することが出来ず、その後のデンマークは平和を維持した。次に即位したフレデリック4世はスウェーデンからの覇権奪還を目指し、1699年、ロシアのピョートル1世、ポーランドのアウグスト2世とともに反スウェーデン同盟を結ぶに至った。 1700年、フレデリック4世はスウェーデンのカール12世に対して宣戦し、ピョートル1世率いるロシア軍はイングリアに攻め入り、アウグスト2世率いるザクセン軍はリヴォニアに攻め入り、大北方戦争が開戦した。カール12世は1700年にデンマークを降し、1706年にポーランドとアルトランシュテット条約を締結し、ポーランドを従属国にするなど奮戦したが1709年のロシア遠征(ポルタヴァの戦い)で敗戦を喫すると戦況は徐々に傾いていき、1714年にはロシアによってバルト海の制海権を奪取されるに至った。これに乗じるようにプロイセン王国、ハノーヴァー朝、ポーランド王国などが相次いでスウェーデンに宣戦し、デンマークも戦線復帰するなどスウェーデンは四面楚歌に陥ってしまう。スウェーデンはデンマークを撃退し、ノルウェーに侵攻して都市を占領するなどして奮闘を見せたが1718年、カール12世が戦死すると国内には反戦勢力の声色が強まり、次代女王エレオノーラは各国との戦争終結に向けて行動を起こした。1719年から1720年にかけてのストックホルム条約及び1721年のロシアとの間にニスタット条約が締結されたことをもって大北方戦争は終結を見た。スウェーデンが保持していたバルト海東岸の権益はそのほとんどが消滅、またその貿易もグレートブリテン王国やロシア帝国の手に移ったことで一時代を築き上げたバルト帝国は完全に崩壊した。デンマークも覇権奪回を目指したが、欧州の列強となったロシアによって北欧の覇権を打ち立てられることとなった。しかし勢力均衡が重視された結果、「デンマーク=ノルウェー」、「スウェーデン=フィンランド」は維持された。デンマークはロシアなど列強国との関係を深め、スウェーデンを牽制し、平穏な18世紀を迎えている。一方スウェーデンはフランスなど西欧との関係を深め、「自由の時代」が開始された。大北方戦争後の北欧は新たな時代へと移ったが、ヨーロッパの勢力図は再編された。この結果、北欧は欧州列強の影響下に置かれることとなった。
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