再編と政治利用の強化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 15:48 UTC 版)
「王立絵画彫刻アカデミー」の記事における「再編と政治利用の強化」の解説
発足後も、旧来の同業者組合が独自の学校を設立して対抗するなど、両陣営の緊張関係は続いていたが、ルイ14世の親政が開始されるとル・ブランを中心とする運動によって、王室付きの画家はすべて王立絵画彫刻アカデミーに所属する通達が国王から出された(1663年)。この通達を機にアカデミーの組織も再編され、教授補・教授から院長へと至る役職の序列が整えられた。 またル・ブランが実質的な権限を握り、彼が王立ゴブラン製作所監督、国王首席画家の要職について王室の仕事を配分するようになるとともに、アカデミーの地位も向上していった。アカデミー強化の動きを後押ししたのは国務大臣コルベールで、彼はアカデミーの画家たちに王室からの注文の独占、展覧会への出品といった特権を与える見返りに、国王の栄光を称えて絶対王政の確立を推し進めるための武器として芸術を利用しようとした。 まずコルベールはアカデミーに対する年金を4倍に増額し、また若手画家を対象としたコンクールや講演会・アカデミー会員による展覧会の開催・ローマでのアカデミー・ド・フランス(Académie de France)設立など、次々に改革策を進めていった。とりわけアカデミー・ド・フランスは、若手画家を選抜して給費生としてローマに滞在させる「ローマ賞」の創設(1674年)で注目を集めた。この「ローマ賞」はアカデミー解体後も1968年まで存続し、長くフランスの芸術家志願者にとって最高の栄誉でありつづけた。
※この「再編と政治利用の強化」の解説は、「王立絵画彫刻アカデミー」の解説の一部です。
「再編と政治利用の強化」を含む「王立絵画彫刻アカデミー」の記事については、「王立絵画彫刻アカデミー」の概要を参照ください。
- 再編と政治利用の強化のページへのリンク