ニスタット条約とは? わかりやすく解説

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ニスタット条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 00:27 UTC 版)

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ニスタット条約
署名 1721年9月10日旧暦8月30日
署名場所 ウーシカウプンキ
締約国 ロシア帝国スウェーデン
主な内容 大北方戦争講和条約
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ニスタット条約スウェーデン語: Freden i Nystadロシア語: Ништадтский мирный договор)は、大北方戦争の後、1721年9月10日旧暦8月30日)にロシア帝国スウェーデンの間で結ばれた講和条約

現在のフィンランドウーシカウプンキ(Uusikaupunki、スウェーデン語でニュスタード)において結ばれた。

内容

ニスタット条約による国境の変動。黄色の部分は、戦前にスウェーデン領だった地域。緑の斜線の部分が、ニスタット条約でロシアに割譲された地域

大北方戦争中にロシアが占領していたフィンランドヴィスマル、フォアポンメルン西部はスウェーデンに返還されたが、カレリアの大部分、エストニアリヴォニアスウェーデン領リヴォニア英語版、現ラトヴィア領)、イングリア(インゲルマンラント、イジョール)、またバルト海サーレマー島ヒーウマー島(ともに現エストニア領)は、スウェーデンからロシアに割譲された。これにより、スウェーデンが築き上げた「バルト帝国」は名実共に崩壊し、ロシアがスウェーデンに代わってバルト海覇権を握ることになった。

結果・影響

この条約によってバルト海の覇権を失ったスウェーデンでは、大北方戦争中にカール12世が戦死していたこととあわせ、国王の権威を低下させた。そのため王権の制限が進められ、絶対王政下における大国主義から、いわゆる「自由の時代スウェーデン語: Frihetstiden)」へと移行することになった。一方で、新たにバルト海の覇権を握ったロシアは、ヨーロッパ政治における存在感を強めた。ヨーロッパの主要国はロシアに外交官を常駐させるようになり、国際政治において対ロシア関係を無視することができなくなった。国内でもピョートル1世がその威信を強め、ロシアの「元老院」から「皇帝」「大帝」などの称号を受けることになった。

参考文献

関連項目

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