ビルジャイ条約とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ビルジャイ条約の意味・解説 

ビルジャイ条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/26 06:14 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

ビルジャイ条約(ビルジャイじょうやく、リトアニア語: Biržų sutartis)、またはビルジェンスキー条約ロシア語: Бирженский трактат)は、大北方戦争中の1701年3月9日ユリウス暦2月26日)、ビルジャイにおいてロシア・ツァーリ国ピョートル1世ポーランド王ザクセン選帝侯アウグスト2世[1]の間で締結された条約。

この条約はロシアのナルヴァの戦いでの大敗の後、およびアウグスト2世の単独講和の試みが失敗した後に締結された。条約の目的は北方同盟の更新である。

内容

  • お互いに単独講和しないことを約する。
  • ピョートル1世はアウグスト2世に援軍として1万5千から2万人、および大砲40門を送る。
  • ピョートル1世はアウグスト2世に10万ルーブルの年金を与える。

その後

条約締結の少しあと、軍事行動の計画が合意された。計画ではアウグスト2世がロシア軍の助けを借りて、1701年内にリガを包囲し、ロシア軍がスウェーデン軍の引き離しとしてイングリアフィンランドを襲撃する。リガを落とした後、スウェーデン王カール12世によるモスクワ攻撃を防ぐべくナルヴァを攻撃する。ナルヴァ攻撃ではザクセン軍が援軍としてロシアに派遣されるとした。

脚注

  1. ^ Бирженский трактат” (ロシア語). ブロックハウス・エフロン百科事典: 全86巻(本編82巻と追加4巻). サンクトペテルブルク. (1890-1907) 

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

ビルジャイ条約のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ビルジャイ条約のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのビルジャイ条約 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS