プルト条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 00:01 UTC 版)
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プルト条約 | |
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署名 | 1711年7月21日 |
署名場所 | モルダヴィアのプルト川河岸 |
締約国 | オスマン帝国とロシア・ツァーリ国 |
主な内容 | ロシア・トルコ戦争(1710年‐1711年)の平和条約 |
プルト条約(ロシア語: Прутский мирный договор)は、1711年7月21日に、モルダヴィアのプルト川河岸において、オスマン帝国とロシア・ツァーリ国が結んだ平和条約である。
条約はロシア・トルコ戦争(1710年‐1711年、プルト川の戦いとも)を終結させた。
内容
条約の条件は以下ほどのものであった。
- ロシアはオスマン帝国にアゾフを譲る。
- ロシアはタガンログをはじめ、南ロシアにある要塞の全てを破却する。
- ロシアはアゾフ地域においてオスマン帝国の要塞の構築を認める。
- ロシアはクリミア・ハン国へのザポロージャのコサックによる遠征を制止する。
- ロシアは右岸ウクライナをポーランド・リトアニア共和国の領土として認め、そこから撤退する。
- ロシアはポーランド・リトアニア共和国の政治に介入しないと約束する。
- ロシアはスウェーデン国王カール12世にロシア国内経由で帰国を許可する。
参考文献
- (日本語) 伊東孝之・井内敏夫・中井和夫(編)『ポーランド・ウクライナ・バルト史』、世界各国史、山川出版社、1998年.
- (日本語) 黒川祐次『物語ウクライナの歴史』、中央公論新社、2002年.
外部リンク
- (英語) プルト条約 // ウクライナ百科事典
固有名詞の分類
- プルト条約のページへのリンク