オーボ条約とは? わかりやすく解説

オーボ条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 15:23 UTC 版)

ロシア・スウェーデン戦争 (1741年-1743年)」の記事における「オーボ条約」の解説

詳細は「オーボ条約(英語版)」を参照 やがてロシア軍オーボ入城両軍停戦すると、ロシア代表のアレクサンドル・イヴァノヴィチ・ルミャンツェフ(英語版)とスウェーデン代表のエリク・マティアス・フォン・ノルケン(スウェーデン語版)がオーボ和平交渉開始したロシア女帝エリザヴェータは軍をフィンランドから撤退させる代わりに後継者のカール・ペーター・ウルリヒの親族アドルフ・フレドリクスウェーデン王継承者指名させた(カール・ペーター・ウルリヒは戦争中フィンランド議会よりフィンランド王位英語版)につくよう打診された)。スウェーデン与党であったハッタナ党は有利な講和引き出すためにこれに同意したエリザヴェータアドルフ・フレドリクが無事スウェーデン王選出されるようロシア軍スウェーデン全土占領することを要求したが、これはスウェーデン代表猛反対遭い失敗した平和交渉が続く中、ラシ大北方戦争のときと同じ策を使いクロンシュタットから出撃してスウェーデン本土英語版)に上陸しようとしたバルチック艦隊ウメオ接近する中、オーボ条約(英語版締結報せもたらされた。スウェーデンヴィルマンストランド、フレデリクスハムン、そしてサンクトペテルブルク北西にあるフィンランド一部ロシア割譲しキュミ川(英語版)を国境線としたのであった条約北ヨーロッパにおけるスウェーデン・バルト帝国さらなる衰退意味したロシアがオーボ条約で得た領土1721年ニスタット条約得た領土同じくヴィボルグ総督領(英語版)に加えられ1812年成立したフィンランド大公国併合された。 一方フランススウェーデン戦争嗾け目的達成したロシア1746年オーストリアとの同盟を結び直し1748年に軍をリヴォニアからライン川派遣されたが、すでに講和近く大きな意味を成さなかった。

※この「オーボ条約」の解説は、「ロシア・スウェーデン戦争 (1741年-1743年)」の解説の一部です。
「オーボ条約」を含む「ロシア・スウェーデン戦争 (1741年-1743年)」の記事については、「ロシア・スウェーデン戦争 (1741年-1743年)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「オーボ条約」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「オーボ条約」の関連用語

オーボ条約のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



オーボ条約のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのロシア・スウェーデン戦争 (1741年-1743年) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS