オーボ条約
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「ロシア・スウェーデン戦争 (1741年-1743年)」の記事における「オーボ条約」の解説
詳細は「オーボ条約(英語版)」を参照 やがてロシア軍がオーボに入城、両軍が停戦すると、ロシア代表のアレクサンドル・イヴァノヴィチ・ルミャンツェフ(英語版)とスウェーデン代表のエリク・マティアス・フォン・ノルケン(スウェーデン語版)がオーボで和平交渉を開始した。ロシア女帝エリザヴェータは軍をフィンランドから撤退させる代わりに後継者のカール・ペーター・ウルリヒの親族アドルフ・フレドリクをスウェーデン王位継承者に指名させた(カール・ペーター・ウルリヒは戦争中にフィンランド議会よりフィンランド王位(英語版)につくよう打診された)。スウェーデンの与党であったハッタナ党は有利な講和を引き出すためにこれに同意した。エリザヴェータはアドルフ・フレドリクが無事スウェーデン王に選出されるようロシア軍がスウェーデン全土を占領することを要求したが、これはスウェーデン代表の猛反対に遭い失敗した。 平和交渉が続く中、ラシは大北方戦争のときと同じ策を使い、クロンシュタットから出撃してスウェーデン本土(英語版)に上陸しようとした。バルチック艦隊がウメオに接近する中、オーボ条約(英語版)締結の報せがもたらされた。スウェーデンがヴィルマンストランド、フレデリクスハムン、そしてサンクトペテルブルク北西にあるフィンランドの一部をロシアに割譲し、キュミ川(英語版)を国境線としたのであった。条約は北ヨーロッパにおけるスウェーデン・バルト帝国のさらなる衰退を意味した。 ロシアがオーボ条約で得た領土は1721年のニスタット条約で得た領土と同じく、ヴィボルグ総督領(英語版)に加えられ、1812年に成立したフィンランド大公国に併合された。 一方、フランスはスウェーデンを戦争に嗾けた目的を達成した。ロシアは1746年にオーストリアとの同盟を結び直し、1748年に軍をリヴォニアからライン川に派遣されたが、すでに講和は近く、大きな意味を成さなかった。
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