ノルウェーとの同君連合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 03:44 UTC 版)
「スウェーデン=ノルウェー」の記事における「ノルウェーとの同君連合」の解説
オーボ条約、そして実際には1812年のカール14世ヨハンの外交政策全体が、スウェーデン上流階級の政治家の間で、激しくそして正当な批判を引き起こした。弱小な友好国フィンランドを犠牲にしてスウェーデンを保護するのは道徳に背く行為であることは明白であった。そして、フィンランドが決定的に犠牲になっている状況にもかかわらず、ノルウェーはこれから勝ち取らなければならなかった。 さらに、カール・ヨハンの第一の義務は反ナポレオン連合にあるということを英国とロシアは極めて適切に主張した。共通の敵が壊滅する前に無法なノルウェー遠征について国費を支出することに英国は盛んに反対した。ただし彼の非常に無礼な服従の状態で、ノルウェーとスウェーデンの連合(ストックホルム条約、1813年3月3日)を英国も容認することを約束した。そして4月23日にロシアは同一の趣旨に保証を与えた。 1813年の軍事活動に際して、スウェーデン王太子は同盟諸国へ幾つもの重要な軍隊を派遣した。しかしライプツィヒの戦い後、彼は自身のやり方を試みて、あらゆる危険を冒してもデンマークを無力化しノルウェーを安全にすることを決意した。ノルウェー人自身はこれに反対だった。そして、元来意図されたようにノルウェーを併合するのではなく、対等な二国の同君連合を受け入れることをスウェーデン人に強制し、短い戦争が勃発した。その条件はモス条約に定められた。1814年11月4日、ノルウェー議会は憲法を改正し、新しいノルウェー国王としてカール13世を選出した。
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