1716年の氷上侵攻計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/20 15:39 UTC 版)
「氷上侵攻」の記事における「1716年の氷上侵攻計画」の解説
第二の氷上侵攻は、18世紀の大北方戦争における、スウェーデンとデンマークとの戦役で計画された。当時のスウェーデン王は、カール10世の孫にあたるカール12世である。 17世紀以降バルト海の覇権を握り、フィンランドを従えて「バルト帝国」と称されたスウェーデンであったが、ポルタヴァの戦い(1708年)においてロシア帝国に大敗を喫し、その威信と影響力は失墜することとなった。スウェーデンが体勢を立て直してロシアと対峙する上で、反スウェーデン同盟(北方同盟)に参加して背後からスウェーデンを脅かすデンマーク(当時はノルウェーとの同君連合国家「デンマーク=ノルウェー」を構成していた)を屈服させることが重要であると考えられていた。 カール12世は、当初ノルウェー方面への侵攻を考えて、スウェーデン本土のスコーネに陣取っていたが、1715年から1716年にかけてデンマークを寒波が襲った。これによりエーレスンド海峡が氷結して氷上侵攻が可能となり、カール12世はその準備を進めた。デンマーク側も58年ぶりの悪夢の再来を覚悟して島全体に防衛体制を敷いた。 ところが、スウェーデンが侵攻命令を下す直前になってエーレスンド海峡を嵐が吹き荒れ、氷は破壊され再びの架橋は期待できなくなった。この結果、作戦は中止された。カール12世は、以後デンマーク本土に対する牽制を諦め、その対象をノルウェー本土に定めて行く事となった。
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