両軍とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 政治 > 軍事 > 軍隊 > 両軍の意味・解説 

りょう‐ぐん〔リヤウ‐〕【両軍】

読み方:りょうぐん

両方軍隊。または、両方チーム


両軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/27 05:08 UTC 版)

ネールウィンデンの戦い (1793年)」の記事における「両軍」の解説

両軍の実力は、歴史家の間で意見相違した歴史家のディグビー・スミス(英語版)は仏軍を4から45千人とした一方、墺連合軍人数を43千とした。ラムゼー・ウェストン・フィップス(英語版)は仏軍歩兵4万と騎兵4,500連合軍歩兵3万と騎兵9千とした。セオドア・アイラウト・ドッジ(英語版)はデュムーリエが歩兵4万2千と騎兵5千を投入したのに対しコーブルク歩兵3万と騎兵1万であるとした。またグンター・エーリヒ・ローテンベルク(英語版)によると、デュムーリエの軍勢は41千人で、相手の43千を下回っていた。 ラマーシュの前衛歩兵4千と騎兵1千であった。オーギュスト・マリー・アンリ・ピコー・ド・ダンピエール(英語版率い右翼側面軍は歩兵2千と騎兵1千であったヴァランス右翼軍は18大隊で計7千人であり、ジョアシャン・ジョゼフ・ヌイイ、アレクシス・ポール・ミシェル・ル・ヴェヌールとヴァランス師団分けられた。シャルトルルイ・フィリップ中央の歩兵18大隊(計7千人)と騎兵1千を率いた。その副官はジャック・トゥヴェノー(Jacques Thouvenot)とドモニク・ディートマンであったミランダ左翼軍はジャン・アレクサンドル・イーレ(Jean Alexandre Ihler)率いる7千人とフェリクス・マリー・ピエール・シェノン・ド・シャンモラン(Felix Marie Pierre Chesnon de Champmorin)率い歩兵5千と騎兵1千だった。ジョセフ・ミアチンスキ(Joseph Miaczinski)は左翼側面軍である歩兵2千人騎兵1千人率いた予備軍はジャン・ネスター・ド・シャンセル率いる8個大隊で計4千人であった合計すると、歩兵38千と騎兵5千となる。 一方カール大公前衛歩兵11大隊騎兵11大隊であり、数人大佐率い旅団分けられていた。ヨーゼフ・フォン・グルーベルは第33スタルィ歩兵連隊の2個大隊率い、シュテファン・フォン・ミハリェヴィチ(Stephan von Mihaljevich)はマホニー猟兵連隊の3個大隊オドネル遊撃隊の1個大隊、ブラノヴァチュキー(Branovaczky)遊撃隊3分の1大隊、第32エステルハージ・フザール連隊の1個大隊率いた。アントン・ウルリヒ・ヨーゼフ・フォン・ミリウス(Anton Ulrich Joseph von Mylius)はグリューンラウドン遊撃隊の1個大隊チロリアン狙撃隊3分の1大隊、エステルハージ・フザール連隊の1個大隊率いた。カール・フィリップ・ツー・シュヴァルツェンベルク(英語版)はチロリアン狙撃隊の1か3分の1大隊オドネル遊撃隊の1個大隊、ブラノヴァチュキー遊撃隊3分の1大隊ウーラン連隊の3個大隊率いたPaul Devayはバルトダイスキー(Barthodeisky)、ブリー(Briey)、ピュクラー(Pückler)擲弾兵連隊とエステルハージ・フザール連隊の6個大隊率いた。 ヨーゼフ・フォン・フェラーリス(英語版)は第1級1st Rank)の8個歩兵大隊16騎兵大隊率いフェルディナント・フリードリヒ・アウグスト・フォン・ヴュルテンベルク師団指揮官起用したその内訳は第10コイル(Kheul)歩兵連隊、第28ヴァルテンシュレーベン(Wartensleben)歩兵連隊、第35ブレンターノ歩兵連隊から2個大隊ずつ、第3カール大公歩兵連隊、第69ヨルディス(Jordis)歩兵連隊から1個大隊ずつ、第12カファナーグ(Kavanagh)胸甲騎兵連隊と第14ナッサウ胸甲騎兵連隊から6個大隊ずつ、第1カイザー・カラビニアー(英語版騎兵連隊と第5アルブレヒト公カラビニアー騎兵連隊から2個大隊ずつであった。ヴェンツェル・ヨーゼフ・フォン・コロレド(ドイツ語版)は第2級2nd Rank)の6個歩兵大隊10騎兵大隊率い師団指揮官のヨハン・アンドレアス・ベニオフスキー(Johann Andreas Benjowski)とフランツ・フィンセンツ・フェレール・フォン・ホディッツ・ウント・ヴォルフラニッツ(Franz Vincenz Ferrer von Hoditz und Wolfranitz)少将副官とした。その内訳は第25ブレシャンヴィル(Brechainville)歩兵連隊と第54カレンベルク歩兵連隊から2個大隊ずつ、第15アルトン歩兵連隊と第57ヨーゼフ・コロレド歩兵連隊から1個大隊ずつ、第10ゼッシュヴィッツ胸甲騎兵連隊から6個大隊、第18からカラツァイ(Karaczay)シェヴォー・レジ(英語版連隊と第37コーブルク竜騎兵連隊から2個大隊ずつであった。 フランソワ・セバスチャン・シャルル・ジョゼフ・ド・クロワ(英語版伯爵予備軍11歩兵大隊14騎兵大隊率い、ヨージェフ・アルヴィンチ(英語版)とヨハン・ネポムク・ゴットフリート・フォン・リュッツォフ(Johann Nepomuk Gottfried von Lützow)がその配下指揮官務めた予備軍内訳は第30リーニュ歩兵連隊、第34エステルハージ歩兵連隊、第38ヴュルテンベルク歩兵連隊から2個大隊ずつ、第55マレーMurray歩兵連隊、第58フィーアゼット歩兵連隊ロイフェン、モルツィン、ルソー擲弾兵大隊から1個大隊ずつ、第31ラトゥールLatour)シェヴォー・レジ部隊から8個大隊、第16ブランケンシュタインjフザール連隊から6個大隊であったネーデルラント連邦共和国からはストッカー(Stokkar)とヴァルデック連隊から2個大隊ずつ、メイ(May)とウェルデレン歩兵連隊から1個大隊ずつで計6個大隊派遣された。

※この「両軍」の解説は、「ネールウィンデンの戦い (1793年)」の解説の一部です。
「両軍」を含む「ネールウィンデンの戦い (1793年)」の記事については、「ネールウィンデンの戦い (1793年)」の概要を参照ください。


両軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:30 UTC 版)

ハンガリー・ルーマニア戦争」の記事における「両軍」の解説

ルーマニア軍フランス軍セルビア軍隣接する南方セゲドからチェコスロバキア軍に隣接する北方トカイまで250kmに渡ってハンガリー軍対峙していた。 ティサ川ルーマニア軍対峙するハンガリー軍4月時点比べるとかなり改善していた。ハンガリー軍はよく編成装備され国土を守るべく戦うという目的のために士気高かった。そして、先のチェコスロバキア戦での勝利によって士気より一層高まっていた。共産党政治将校通じて指揮系統掌握していたが、彼らは経験豊かな将校助けられていた。師団とその下のレベルでは主に職業軍人将校指揮を執っている。ハンガリー軍歩兵50,000100大隊騎兵1365の10騎兵大隊火砲69門、装甲列車9両を擁していた。軍隊北方中央南方の3個集団編成され中央集団が最も強力だったハンガリー軍はこの三つ集団持ってティサ川越えサトゥ・マーレオラデアアラドそれぞれ向かう計画立て、この進撃によってルーマニア国内で共産主義者反乱引き起こすことも期待しベッサラビアへのソ連総攻撃による支援計算していた。 ルーマニア軍歩兵48,00092大隊騎兵12,00058騎兵大隊火砲80門、装甲列車2両と幾つかの支援部隊有していた。ルーマニア軍三線展開していた。第一線北方第16師団南方第18師団第二線はより強力な編成置かれ北方の第2山岳猟兵師団ニーレジハーザに、南方の第1山岳猟兵師団ベーケーシュチャバ集結した第三線はルーマニア軍中最も強力な部隊で、第1、第6歩兵師団、第1、第2騎兵師団幾つかの支援部隊から成っていた。これらの部隊鉄道線沿ってカレイからオラデア経てアラドまで配置されていた。第20第21師団治安維持のために第三線の後方置かれた。第一線薄く遅滞戦闘行ってハンガリー軍の攻撃意図を探る。その後第二線の部隊とともに第三線の部隊反撃始めるまで敵の攻撃持ちこたえる。この作戦行動のために、ルーマニア軍司令部鉄道活用することを計画し十分な数の列車用意していた。ルーマニア軍もまたルーマニア民族が住む全ての土地一つ国家にするという大義のために高い士気保っていた。彼らのこの長年の夢はウッドロー・ウィルソン大統領唱える民族自決国民国家原則によって支持されていた。ほとんどの兵士第一次世界大戦経験したベテランたちだった。

※この「両軍」の解説は、「ハンガリー・ルーマニア戦争」の解説の一部です。
「両軍」を含む「ハンガリー・ルーマニア戦争」の記事については、「ハンガリー・ルーマニア戦争」の概要を参照ください。


両軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/07 18:27 UTC 版)

ベオグラード包囲戦 (1440年)」の記事における「両軍」の解説

オスマン軍指揮官ムラト2世Ali Bey Evrenosoğluだった。オスマン軍ベオグラード周りに壁を建て、そこから投石ベオグラード攻撃した。また1439年鹵獲したスメデレヴォ製の大砲使用したベオグラード駐留軍戦力不明で、城の守備についてセルビア専制公ステファン・ラザレヴィッチ(英語版)の治世1402年 - 1427年)に大砲設置されいただけだった。イヴァン・タロヴァッチ(英語版)のクロアチア兵約500人のほか、チェコ人イタリア人弓兵傭兵として加勢した。現地ハンガリー人守備軍を手伝った。タロヴァッチの軍勢一部が銃が使えたため優位に立ち、これが対オスマン軍戦闘で銃を使用した最初の例である。

※この「両軍」の解説は、「ベオグラード包囲戦 (1440年)」の解説の一部です。
「両軍」を含む「ベオグラード包囲戦 (1440年)」の記事については、「ベオグラード包囲戦 (1440年)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「両軍」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

両軍

出典:『Wiktionary』 (2021/08/21 09:23 UTC 版)

名詞

りょうぐん

  1. 両方軍勢

発音(?)

りょ↗ーぐん

「両軍」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



両軍と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「両軍」の関連用語

両軍のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



両軍のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのネールウィンデンの戦い (1793年) (改訂履歴)、ハンガリー・ルーマニア戦争 (改訂履歴)、ベオグラード包囲戦 (1440年) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA) and/or GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblioに掲載されている「Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ)」の記事は、Wiktionaryの両軍 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA)もしくはGNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS