アルブレヒト公
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/10 04:48 UTC 版)
「ザクセン=コーブルク」の記事における「アルブレヒト公」の解説
コーブルクの居城をバロック様式に改築したのはアルブレヒトであった。彼は彼の王室と王子の同時代人の習慣に自分自身を向け、コーブルクの模造ミニチュアを試みた。彼の宮廷図書館には4757冊の本が所蔵されている。ギムナジウムであったカジミーリアヌム・コーブルクを大学にまで発展させようとしたが、財政難のため断念せざるを得なかった。1690年に焼失したエーレンブルク城をバロック様式の宮殿として再建したことで、公国は極端な財政難に陥った。アルブレヒトは子女のないまま1699年に亡くなり、その遺領は他の兄弟に分割された。ゾンネフェルトは1705年にザクセン=ヒルトブルクハウゼンに継承されたものの、それ以外領地の帰属についてはザクセン=マイニンゲンのベルンハルトとザクセン=ザールフェルトのヨハン・エルンストの間で争いになり、30年を経た1735年に数度にわたる神聖ローマ皇帝の仲裁を経てようやく解決を見た。これによりノイハウスとゾンネベルクはザクセン=マイニンゲンに継承され、残りの部分はザクセン=ザールフェルトに併合されてザクセン=コーブルク=ザールフェルト公国となった。
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