スウェーデン王家
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「ホルシュタイン=ゴットルプ家」の記事における「スウェーデン王家」の解説
詳細は「ホルシュタイン=ゴットルプ王朝」を参照 第6代シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公カール・フリードリヒの叔父で摂政であったクリスティアン・アウグストの子アドルフ・フレドリクは、1751年にスウェーデン王に迎えられ、ホルシュタイン=ゴットルプ王朝(1751年 - 1818年)を創始した。ゴットルプ家は、1720年までのスウェーデンの王家プファルツ=クレーブルク家の外戚であったが、ヘッセン家の先王フレドリク1世との姻戚関係はなかった。大北方戦争終結時にニスタット条約に調印しているが、そのためか元々は親ロシア派であった(ヘッセン家は親西欧派であり、大北方戦争以後も対立を続けていた)。 第2代国王グスタフ3世の頃は大いに国威が昂揚したが、ナポレオン戦争の最中、ロシアにフィンランドを奪われるなど失態を犯し、クーデターによって1809年に立憲君主制に移行した。1818年のカール13世の死後、現王家であるベルナドッテ家に代わったが、家系としてはクーデターで廃された王太子グスタフが1877年に、その娘でザクセン王妃となったカロラが1907年に死去するまで続いた。
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