スウェーデン王位奪回の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 03:35 UTC 版)
「ジグムント3世 (ポーランド王)」の記事における「スウェーデン王位奪回の試み」の解説
1598年、ジグムント3世はスウェーデンに渡って叔父カールの反乱軍と戦ったが、敗れてポーランドへと戻った。翌1599年にジグムント3世がスウェーデン王位を廃位された結果、ヴァーサ家はスウェーデン王家とポーランド王家とに分裂することとなった。1600年に摂政カールは、ジグムント3世派のカトリック教徒の貴族多数を粛清し、スウェーデンをルター派国家とした。そして1604年に国内のスウェーデン王位継承権者に継承権を放棄させ、カール9世として即位し、国力の回復と王権の強化に邁進した。以後、1629年のスウェーデン・ポーランド戦争終結まで、ジグムント3世はスウェーデンの王位を要求し続け、常に対決姿勢を崩さなかった。1605年にカール9世がリガに侵攻するとこれを退けている。
※この「スウェーデン王位奪回の試み」の解説は、「ジグムント3世 (ポーランド王)」の解説の一部です。
「スウェーデン王位奪回の試み」を含む「ジグムント3世 (ポーランド王)」の記事については、「ジグムント3世 (ポーランド王)」の概要を参照ください。
- スウェーデン王位奪回の試みのページへのリンク