スウェーデン王に即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 03:39 UTC 版)
「カール10世 (スウェーデン王)」の記事における「スウェーデン王に即位」の解説
クリスティーナ女王が結婚を拒否した為、カール・グスタフはすぐには王位に就けなかったものの、女王に王位継承者として正式に指名された。1654年に女王の退位によって国王の座に上り、ウップサーラで戴冠式を挙げた。同年にホルシュタイン=ゴットルプ公女ヘトヴィヒ・エレオノーラと結婚し、翌1655年に一人息子のカール11世が生まれた。 新国王には難題が山積していた。クリスティーナは財政問題を残していた。カール10世グスタフは財政に関しクリスティーナとは正反対の立場を取ったが、クリスティーナの定めた永遠の規定を尊重した為、財政問題は先送りにされた。それでもカール10世グスタフはこの問題を解決するため、1656年にスウェーデン初の銀行(ストックホルム銀行、後のリクスバンク)を創設した。 対外問題は、ポーランド・リトアニア連合、ロシア、デンマークの脅威に集約されていた。プファルツ家の王位についてはスウェーデン王家と同族でスウェーデン王位の正当な継承権を持つポーランド・リトアニア連合側から強く異議が申し立てられており、いつかはポーランド・リトアニア連合がスウェーデンに対する軍事行動に移すものと思われた。しかし同時にポーランド・リトアニア連合では、フメリニツキーの乱を発端として大規模な戦乱時代である「大洪水時代」に突入していた。これはスウェーデンにとってポーランドとの間の王位継承問題を解決、すなわちプファルツ家がスウェーデン王位につく事を正当化する絶好の機会となった。こうしてカール10世グスタフは、その全人生を賭した「北方戦争」を開始する。
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