ストックホルム銀行とは? わかりやすく解説

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ストックホルム銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/17 06:02 UTC 版)

スウェーデン国立銀行」の記事における「ストックホルム銀行」の解説

前身のストックホルム銀行は、1656年にヨハン・パルムストルックが創設した民営融資銀行為替銀行である。同行設立は、当時スウェーデン国王カール10世に承認された。私企業ありながら政府機関として稼動した。パルムストルックを頭取としたが、補佐役の支配人3人は、市民貴族ストックホルム公使から1人ずつ選ばれた。設立3年後監査任命された。 ストックホルム銀行の経営ぶりは初期から近代であった融資部門では動産不動産担保とする貸付ができた。為替部門では国内流通していた複数種の通貨預金できたし、現物鋳貨引き出せたし、小切手振り出して預金預けたまま譲渡することもできた。預金債権譲渡原則禁止される今日銀行システムとは対照的である。同行順調に利益出した。 そして試練訪れた国内では銀や不足していた。そこで改鋳が行われた。純136kgは従来券面額75dalerで鋳造されていたが、他の金属混ぜて券面額90dolerに増やすことが決まった。すると、改鋳前後券面額が同じ銅貨比べると古い方が多く含まれており、素材価値で勝ることになる。そして、その古い方をストックホルム銀行は大量に預かっていた。融解輸出して利益得よう預金者が取り付け殺到し銅貨はとけてなくなった銀貨似たうな目遭ったかもしれない1661年やむなくヨーロッパで最初紙幣発行した誤解ないよう断っておくと、これは今日管理通貨制度下で量的金融緩和政策に伴い増殖するような紙幣比べれば、それは尊いものであった信用紙幣といって要は銀行振り出しの手であるから鋳貨兌換できるのである券面額がきりのよい数字無利子加えて弁済期が持参人払いという利便性は、同行規格化され紙幣らしいものとなった。これは同じ券面額銅貨対し時としてより高い相場取引された。同行紙幣貸付用いた融資活発化に伴い流通量増えた。しかし金庫鋳貨増えない準備率が下がり兌換難しくなった。 1663年秋、デフォルト公になった。紙幣はどんどん割り引かれた。政府事態調査した上で紙幣貸しはがし燃やせ命じた新規融資ストップした1667年、パルムストルヒは経営責任問われ死刑判決受けたが、執行免除された。この寛大な措置には理由があるだろう。そもそも事の発端政府による改鋳であったし、不足していた金属の確保政治責任であった

※この「ストックホルム銀行」の解説は、「スウェーデン国立銀行」の解説の一部です。
「ストックホルム銀行」を含む「スウェーデン国立銀行」の記事については、「スウェーデン国立銀行」の概要を参照ください。

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