貨幣の偽造の歴史
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「中国の貨幣制度史」の記事における「貨幣の偽造の歴史」の解説
詳細は「贋金」および「偽札」を参照 紀元前144年(景帝中元6年)には「鋳銭・偽黄金棄市の律」が定められて、銭の盗鋳(私鋳)や黄金の偽造者を死刑とした。『史記』遊侠列伝には、私鋳をした人物として郭解が登場する。『漢書』食貨志下には、私鋳で鉛や鉄を混入した者が黥罪に処されたという記録がある。初の紙幣とされる交子が民間で990年頃に発行されたのち、神宗年間(1068年 - 1077年)には偽造に関する記述が見られる。 錬金術 黄金を偽造する技術は、金に混ぜ物をしたり、鉛に金メッキ処理をするなどのほかに合金技術にも結びついた。漢の時代には黄銅を作る技術もあったとされ、合金技術は錬金術とつながった。錬金術は漢の武帝や劉向が興味をもち、劉向は淮南国の書籍『枕中鴻宝苑秘書』から鬼物を使役して黄金を作る技術を見つける。劉向は秘術を宣帝に献上したが、実験は失敗に終わり、劉向は死罪になりかけた。中国における錬金術は神仙思想にも結びついて錬丹術となり、魏晋以降は金丹と呼ばれる仙人になる霊薬の製作が探求された。 法幣の偽造 日中戦争が起きると、日本軍は国民党政府の通貨である法幣を排除するために偽札発行を計画した。陸軍の登戸研究所が中心となり、印刷会社や製紙会社などが極秘で参加した。偽造された5円券や10円券は上海の秘密結社である青幇の協力もあって中国で使用され、一説には25億円分が流通したとも言われる。しかし、蔣介石政権はインフレーションにより1000円や5000円などの高額紙幣を発行し、偽造紙幣は小額だったために効果をあげなかった。 人民元の偽造 改革開放の前までは、通貨の偽造が発生しにくかった。計画経済のもとで印刷設備が国有や集団所有である点、通貨ではなくクーポンによる決済が多かった点、通貨があっても必要な商品が買えない点などの理由があげられる。改革開放以降は、外貨兌換券の発行終了や経済交流の活発化、印刷技術の発達などが原因で偽札が増加した。
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貨幣の偽造の歴史
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詳細は「贋金」および「偽札」を参照 信用通貨と贋金の問題は貨幣の歴史と同じくらい古いとも言われる。価値の裏付けを金属に求めながら、地金価値と額面を厳密に一致させる本位貨幣制の確立は近代以降であり、近代以前の貨幣制度をそれで理解することは難しい。金属貨幣はしばしば政府や領主などが貨幣発行益を得るために発行され、額面が地金の価値を上回ることがあった。貨幣発行益が大きい場合は贋金の横行を呼び、特に高額の貨幣が偽造された。たとえば和同開珎は銀銭の発行後1年以内に私鋳銭の禁令が出ており、偽造が原因で銀銭は廃止されている。 紙幣の偽造では、初の紙幣とされる交子が990年頃に出たのちの神宗の時代(1068年~1077年)には偽造に関する記述が見られる。日本最古の紙幣とされる羽書は1610年に発行されたが、1624年には偽札についての記述が見られる。スウェーデンのストックホルム銀行券は1661年に始まり、1662年~1664年には偽造銀行券が出回っていた。大規模な紙幣偽造としては、ポルトガルの公文書を偽造してエスクド紙幣を500万ドル相当印刷させたアルヴェス・レイスの事件がある。 アメリカ最初期の紙幣を印刷したベンジャミン・フランクリンは、偽造防止の方法も発明した。紙幣の文字に意図的なスペリング・ミスを仕込み、額面によって異なったスペリングと活字を組み合わせた。さらに、複製困難なデザインのためにネイチャー・プリンティング(英語版)という紙幣の裏に木の葉をプリントする方法を考案した。アメリカは大陸紙幣ののちは南北戦争まで政府紙幣がなく、1862年の時点で紙幣全体の80パーセントが偽札だったとされる。偽札を判別するための偽札鑑定新聞( Counterfeit Detector)や銀行券通信(Bank Note Reporter)と呼ばれる冊子があり、定期的に発行された。 鋳造貨幣や紙幣以外の偽造もある。アステカでは、通貨として使われていたカカオ豆が偽造されていたという記録がある。
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