アステカとは?

アステカ【(スペイン)Azteca】

14世紀から16世紀にかけて、メキシコ中央高原栄え民族中米先進文化継承し、ティノチティトランを首都とする統一国家建設神政行い政治的軍事的に複雑な社会組織構成言語ナワトル語文字絵文字象形文字を用いた。1521年スペイン人コルテスに滅ぼされた。アズテク。


アステカ【アステカ】(草花類)

登録番号 第11621号
登録年月日 2004年 1月 13日
農林水産植物の種類 カーネーション
登録品種の名称及びその読み アステカ
 よみ:アステカ
品種登録の有効期限 20 年
育成者権の消滅  
品種登録者の名称 バルブレ&ブラン S.A.
品種登録者の住所 カミノビエホ 205 30890 プエルト ルンブレラス ムルシア スペイン 
登録品種の育成をした者の氏名 兼松功一
登録品種の植物体の特性の概要
この品種は、出願所有育成系統どうしを交配して育成されたものであり、花は鮮紫赤の地色鮮紅色中心濃色及びピンク白色のぼかしが入る盛咲で、やや大輪の1花茎当たりの花数及び花柄当たりの最多花数が少の切花向きの品種である。草姿直立開花草丈は高、節数は中である。長径はやや細、硬さは中、折れ難易は難、色は灰緑、ろう質の有無及び立数は中、1側芽及び側数はやや少、側着生位置は主に中上部、節間長は中、最長節間位置は第4節である。全体の形は線形先端部の形は鋭くとがる、葉巻き程度は巻く、最大葉長はやや長、幅はかなり狭、葉色濃緑、ろう質は中である。つぼみの形は倒卵形大きさはやや大、花の重ね八重、上から見た花形円形側面から見た花形は盛咲、花径はやや大、表面地色は鮮紫赤(JHS カラーチャート9707)、複色模様色は鮮紅(同0107)の中心濃色及びピンク白(同0701)のぼかしが入り裏面の色は鮮紫ピンク(同9705)、花弁波状程度波状鋸歯深さは浅、数は少、花弁長さはやや長、幅及び数は中、ほう葉の形はⅠ型、数は4長さはやや短、がくの形は円柱形がく筒の色は灰緑、がくの太さは中、長さは長、1花茎当たりの花数及び花柄当たりの最多花数は少、花の香りは弱である。開花習性四季咲き早晩性早生、がく割れ難易性は難である。「ショコラ」と比較して、花の表面地色が鮮紫赤であること、色彩模様中心濃色及びぼかしであること等で区別性が認められる
登録品種の育成経過概要
この品種は、平成7年出願者の温室静岡県駿東郡小山町)において、出願所有育成系統どうしを交配し、その実生の中から選抜以後増殖行いながら特性の調査継続し、11年にその特性が安定していることを確認して育成完了したものである。



アステカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 14:54 UTC 版)

アステカAzteca古典ナワトル語英語版: Aztēcah)は、1428年頃から1521年までの約95年間北米メキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明国家メシカ(古典ナワトル語: mēxihcah メーシッカッ)、アコルワテパネカの3集団の同盟によって支配され、時とともにメシカがその中心となった。言語は古典ナワトル語(ナワトル語)。




注釈

  1. ^ アステカ王国がわずかな勢力のスペイン人に滅ぼされた理由が、白い肌のケツァルコアトル神が「一の葦」の年に帰還するという伝説があったためアステカ人達が白人のスペイン人を恐れて抵抗できなかったというためだったという通説については、異論を唱える研究者もいる。大井邦明によれば、ケツァルコアトルが白人に似た外観であったというのはスペイン人が書き記した文書にのみ見られるという。白人が先住民の支配を正当化すべく後から話を作った可能性があるという[14]。また、スーザン・ジレスピーフロリダ大学)によれば、アステカ側の年代記制作者が、わずかな勢力に王国が滅ぼされたことの理由付けとして後から話を作った可能性があるという[14]。実際の理由としては、アステカがそれまで経験してきた戦争は生贄に捧げる捕虜の確保が目的であり敵を生け捕りにしてきたのに対し、スペイン人達の戦い方は敵の無力化が目的であり殺害も厭わなかったこと[17]。また、スペインの軍勢の力を見せつけるべくチョルーラで大規模な殺戮を行うなどしたが、アステカの人々にとっては集団同士の戦いでの勝敗はそれぞれの集団が信仰する神の力の優劣を表していたこと[18]。そしてまた、スペイン人達は銃や馬で武装しており、アステカの軍勢は未知の武器に恐れをなしてたびたび敗走したこと[17]。スペイン人がアステカに不満を持っていた周辺の民族を味方につけたこと[18]、などが挙げられる。これらの他、モクテソマ王自身が、不吉な出来事や自身が権力の座を失うことなどに不安を募らせ[19][17]、希望を失って首都を離れようとするなど[19]厭世的な気持ちに捕らわれていたことがアステカの軍勢の士気をも落としていただろうという指摘もある[17]

出典

  1. ^ a b López (2001) p.68
  2. ^ a b c 増田 (1999a) 49-51ページ
  3. ^ グリュジンスキ 23-26ページ
  4. ^ a b グリュジンスキ 26-33ページ
  5. ^ タウンゼント 95ページ
  6. ^ タウンゼント 98ページ
  7. ^ 井上 (2007) 75-76ページ
  8. ^ 井上 (2007) 76ページ
  9. ^ グリュジンスキ 35-49ページ
  10. ^ タウンゼント 140ページ
  11. ^ グリュジンスキ 53-61ページ
  12. ^ タウンゼント 146ページ
  13. ^ a b グリュジンスキ 65-67ページ
  14. ^ a b c 土方 158ページ
  15. ^ グリュジンスキ 78-79ページ
  16. ^ グリュジンスキ 80ページ
  17. ^ a b c d e 土方 159ページ
  18. ^ a b 井上 (2014) 209ページ
  19. ^ a b グリュジンスキ 79ページ
  20. ^ 増田 (2002) 38-43ページ
  21. ^ 増田 (2002) 43-45ページ
  22. ^ 増田 (2002) 46-50ページ
  23. ^ 増田 (2002) 51-57ページ
  24. ^ 増田 (1999b) 66-67ページ
  25. ^ 増田 (2002) 62-66ページ
  26. ^ 増田 (2002) 73-79ページ
  27. ^ 増田 (2002) 80-87ページ
  28. ^ グリュジンスキ 91-93ページ
  29. ^ 立石他編 [要ページ番号]
  30. ^ タウンゼント 104ページ


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