チムー文化とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > チムー文化の意味・解説 

チムー文化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/11 21:23 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
チムー文化

チムー文化(Chimú culture)は、ペルー北西岸に栄えた文化。文化を築いたチムー王国の都は、現在のトルヒーリョ近郊のモチェ谷にあるチャン・チャンであった。西暦900年頃に始まったとされる。インカ帝国の皇帝トゥパック・インカ・ユパンキは、スペインの進出が始まる50年前の西暦1470年頃にチムー王国征服に乗り出した。

チムー人は月を信仰していたことが知られ、月は太陽よりも強力であると考えていた。

チムー文化は、白黒の壺、銅、金、銀、青銅などの精巧な金属加工物で知られている。

遺跡

2019年、ペルー北部の沿岸部で15世紀の遺跡を調べていた考古学研究チームが、子ども137人および成人3人の人骨と、ラマの赤ちゃん200頭以上の骨格を発掘。出土品や放射性同位元素による年代測定(1450年頃)からチムー文化の遺跡と判断された。出土した人骨からは心臓を取り外した跡が確認されること、人骨の下には分厚い泥の層が堆積していたことから、何らかの災害が発生した後に行われた生贄の儀式と考えられている[1]

脚注

[ヘルプ]





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「チムー文化」の関連用語

チムー文化のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



チムー文化のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのチムー文化 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS