国立諸階級銀行
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「スウェーデン国立銀行」の記事における「国立諸階級銀行」の解説
1668年9月17日、スウェーデン議会において新銀行の設立を認可する法律が制定された。この法律ではストックホルム銀行での失敗を教訓に、新銀行の経営権を議会の監督下に置いた。しかしこの年は絶対王政のスタートでもあったから、国立諸階級銀行 (Riksens Ständers Bank) はストックホルム宮殿に間借りで新設された。ストックホルム銀行の資産・負債・雇用関係の一切を継承せず、認可された日のうちに開業した。 発進力として、政府は王室の流動資産を国立所階級銀行へ預けた。運転資金は預金と利息で賄われた。この体裁を維持するため、不良債権が減価償却されずに簿価のまま記帳されていた。これではやっていけないので、王室保有の大砲を輸出するようなこともやったが、1674年に足を洗った。また、開業時に同行へ移管された王立造幣局から鋳造益を得ていた。貸付は物的担保によるものだけであった。責任財産のある王室はお得意様であった。スコーネ戦争では王室の都合に振り回された。 理事は6人であった。1668年から1681年、1698年から1747年は、貴族・聖職者・市民の各階級から2人ずつ選ばれた。1691年から1698年の期間だけは各階級から1人ずつしか選ばれず3人だけだった。また、1672年に議会が開かれてからは、同行を監督する委員会も3階級から選出されるようになった。しかし、理事は委員を兼ねていたので監督は不行き届きであった。 紙幣の発行は認可法で禁じられていたが、需要のあまり銀行内部の証書が紙幣のように流通してしまった。具体的には預金者の申請を局長が認めた小切手、出納局長が発行した預金証書、経理局長が出納局長に宛てた為替証書である。1701年、流通阻止のため移転紙幣が導入された。これは不便だった。預金が銀貨で100daler以上でないと発行されなかった上、譲渡には裏書が必要だった。証書の流通は止まらなかった。 業態はストックホルム銀行のように融資部門と為替部門に分かれていた。融資部門は6週間前の予告を必要とする利息付6か月定期預金を受け入れた。預金証書は貸付の担保に利用された。為替部門は、当座勘定に無利子預金を受け入れた。これは貸し出せないことになっていた。証書の流通が阻止できなかったので、1691年に融資部門は預金の取扱いを停止した。資金は為替部門の無利子預金へ向かった。利益が減って、理事会を開き、無利子預金を貸し出しに回した。
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