唯一の発券銀行へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/17 06:02 UTC 版)
「スウェーデン国立銀行」の記事における「唯一の発券銀行へ」の解説
1866年の議会改革によって王国の4階級が廃止された。また、議会に上院と下院が設けられた。翌年から議会によって国立諸階級銀行はスウェーデン国立銀行 (Sveriges Riksbank) と改称された。 1873年、スウェーデンは隣国のデンマークとともに、金を基礎とするスカンディナヴィア通貨同盟を結成した。1875年にはノルウェーもスカンディナヴィア通貨同盟に参加した。スカンディナヴィア通貨同盟は共通の通貨単位としてクローナを導入し、諸外国に対して統一的な為替レートを設定した。 1879年、民間発行の手形が割引されるようになった。また、国立銀行の一般企業向け貸出が廃止された。 1896年、手形交換制度ができた。 1897年、スウェーデン国立銀行は立法により通貨の独占発行権を獲得した。6年後には民間銀行の発券が停止された。こうしてスウェーデン国立銀行は中央銀行としての役割を果たすようになった。このような1890年代、国立銀行は預金を制限しながらなお全銀行の貸出総額の約15%を占めた。民間銀行も借りたが、主な融資先はヴァレンベリ家を代表とする大企業であった。 1899年、手形交換制度が国立銀行に運営されることに決まった。 1906年10月、国立銀行はHelgeandsholmenの建物へ移転した。 第一次世界大戦に伴う取り付けは、勅令を発し通知まで支払い停止にした。1916年から1920年まで兌換に応じたが再び停止。1924年には一転して金解禁の上、金の輸入禁止という余裕を見せた。 1931年9月、世界恐慌の影響から国立銀行は兌換義務を免除された。このときに金輸出が再び禁止された。免除は1975年に管理通貨制度へ移行するまで毎年更新され続けた。 1976年4月、ストックホルムのHelgeandsholmenにある現在のビルに移転した。 1992年、クローナ暴落。カナダ銀行に指導を受けて、為替相場の変動とインフレターゲットに基づいた金融政策を構築した。世界恐慌以来の深刻な事態はスウェーデン銀行救済(英語版)という用語で歴史に刻まれた。 世界金融危機をすぎてからの政策は、日本銀行と似たり寄ったりである。
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