ポンテコルヴォ大公
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「ポンテコルヴォ」の記事における「ポンテコルヴォ大公」の解説
1806年 - 1810年: ジャン=バティスト・ベルナドット 1812年 - 1815年: ナポレオン=リュシアン=シャルル・ミュラ ジャン=バティスト・ベルナドットは1818年にスウェーデン王(兼ノルウェー王)に即位し、「カール14世ヨハン」となった。以後のスウェーデン王家はベルナドットの末裔である(ベルナドッテ王朝)。スウェーデン王の紋章の一部には、ポンテコルヴォの紋章が組み込まれている。 ナポレオン=リュシアン=シャルル・ミュラ(以下、リュシアン・ミュラ)には、ブルボン家に代わるナポリ国王に推戴する動きもあった。リュシアン・ミュラの子孫は「プランス・ミュラ」 (Prince Murat) の称号を称しており、非公式に「ポンテコルヴォ大公」の称号も用いている。 ポンテコルヴォ大公ジャン=バティスト・ベルナドットの紋章 スウェーデン王家ベルナドッテ家の紋章のシールド部分
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