ポンテ・マンモロ協約
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「ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「ポンテ・マンモロ協約」の解説
ハインリヒ5世は、父より続いていた叙任権闘争の解決を図り、1110年よりローマ遠征を決行した。そして翌1111年2月4日、ローマ教皇パスカリス2世と急進的な内容の合意を成立させた(サンタ・マリア・イン・トゥーリ条約)。その内容は、国王が完全に教会の叙任権を放棄することと、教会が世俗的な土地、財産および諸権利を返還することから成り立っていた。 ところが、ハインリヒ5世の皇帝戴冠式に際してこの合意が公に示されると、聖職者を中心に驚きと反発の渦が起こった。そのため、戴冠式は大混乱となり続行不可能となった。結局、ハインリヒ5世は兵を動かして、教皇や高位聖職者をローマから拉致することになった。そして、ポンテ・マンモロにおいて、皇帝に有利な叙任権に関する取り決めを定めた。これが「ポンテ・マンモロ協約」である。さらに、ローマのサン・ピエトロ大聖堂で、改めてハインリヒ5世の戴冠式も行われた。
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