ポンテ・マンモロ協約とは? わかりやすく解説

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ポンテ・マンモロ協約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 06:29 UTC 版)

ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「ポンテ・マンモロ協約」の解説

ハインリヒ5世は、父より続いていた叙任権闘争解決図り1110年よりローマ遠征決行した。そして翌1111年2月4日ローマ教皇パスカリス2世急進的な内容合意成立させた(サンタ・マリア・イン・トゥーリ条約)。その内容は、国王が完全に教会叙任権放棄することと、教会世俗的な土地財産および諸権利返還することから成り立っていた。 ところが、ハインリヒ5世皇帝戴冠式に際してこの合意公に示されると、聖職者中心に驚き反発の渦が起こった。そのため、戴冠式大混乱となり続行不可となった結局ハインリヒ5世は兵を動かして教皇高位聖職者ローマから拉致することになった。そして、ポンテ・マンモロにおいて、皇帝有利な叙任権に関する取り決め定めた。これが「ポンテ・マンモロ協約」である。さらに、ローマサン・ピエトロ大聖堂で、改めハインリヒ5世戴冠式行われた

※この「ポンテ・マンモロ協約」の解説は、「ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)」の解説の一部です。
「ポンテ・マンモロ協約」を含む「ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)」の記事については、「ハインリヒ5世 (神聖ローマ皇帝)」の概要を参照ください。

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