ポンティーダの誓約からレニャーノの戦いへとは? わかりやすく解説

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ポンティーダの誓約からレニャーノの戦いへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/16 08:40 UTC 版)

ロンバルディア同盟」の記事における「ポンティーダの誓約からレニャーノの戦いへ」の解説

1167年12月1日ポンティーダ(現在はベルガモ県所属)にあるポンティーダ修道院(it:Abbazia di Pontida)において「ポンティーダ誓約」(it:Giuramento di Pontidaが行われ、ロンバルディア同盟結成された。このとき参加した都市は、ヴェローナ同盟加盟都市ヴェローナパドヴァヴィチェンツァヴェネツィア共和国)のほか、クレーマクレモナマントヴァピアチェンツァベルガモブレシアミラノジェノヴァボローニャモデナレッジョ・エミリアトレヴィーゾヴェルチェッリローディパルマフェラーラである。同盟には、オビッツォ・マラスピナ(it:Obizzo Malaspina)侯爵や、トレヴィーゾ辺境伯エッチェリーノ3世・ダ・ロマーノ(it:Ezzelino III da Romano)などの諸侯参加した同盟は、神聖ローマ帝国からの分離独立求めたわけではないが、皇帝権力 (Honor Imperii) に対して公然と挑戦したフリードリヒ1世は、これらの都市、特にミラノ(これより以前1162年占領破壊していた)に対抗しよう努めた1176年5月29日ロンバルディア同盟レニャーノの戦いフリードリヒ1世軍勢打ち破った1177年ヴェネツィア条約Treaty of Venice)が結ばれ1178年8月から1183年まで6年間の停戦成立した

※この「ポンティーダの誓約からレニャーノの戦いへ」の解説は、「ロンバルディア同盟」の解説の一部です。
「ポンティーダの誓約からレニャーノの戦いへ」を含む「ロンバルディア同盟」の記事については、「ロンバルディア同盟」の概要を参照ください。

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