スウェーデン統治時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 13:44 UTC 版)
「フィンランド多島海域」の記事における「スウェーデン統治時代」の解説
12世紀から13世紀の間、この海域をスウェーデンが支配した。これと同じ時期、この海域の島々と沿岸部からフィンランドにキリスト教が広まった。この島々は、ストックホルムやトゥルク、そしてボスニア湾への侵攻に対する防衛に関して戦略上重要な位置にあった。このため、中世の間にスウェーデン・バルト帝国がこの島々を要塞化した。16世紀と17世紀の間、王室の郵便の輸送路は北の島々を経由するルートが設定されていた。 1808年、スウェーデン・バルト帝国とロシア帝国との間で第二次ロシア・スウェーデン戦争が勃発した。4月、ロシア帝国軍がオーランド諸島を含むこの海域の島々を占領した。船が没収されたため、地元住民の反乱が間もなく起こった。スウェーデンからの軍の助けで5月には島々はロシアの支配から解放された。スウェーデン軍はフィンランド本土側へ進出する拠点としてこの島々を使用した。この戦争が終わるまで、この海域の島々はスウェーデンの支配下にあった。しかし1809年のフレデリクスハムンの和約に続き、この海域の島々を他のフィンランドの地域と共に割譲させられた。そのためフィンランド多島海域は、ロシア帝国の影響下にあるフィンランド大公国領となった。
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