スウェーデン軍の攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 15:23 UTC 版)
「シュトレーゾウの戦い」の記事における「スウェーデン軍の攻撃」の解説
カール12世はグロース・シュトレーゾウ付近に軍が上陸したことを伝え聞いており、浜辺に居る内に寄せ手を迎え撃つべく即座に出発した。夜陰に乗じて側近の士官たちを連れて漁船でシュトラールズントを発ち、リューゲン島へ向かう。連合軍の兵力については充分な情報がなく、急いで招集した小さな戦力のみを率いてシュトーレゾウへ進軍したのである。 11月16日の早朝、スウェーデン軍はグロース・シュトレーゾウの浜辺、アルテ・フェーア(英語版)付近に到達した。上陸した諸隊は、すでに阻塞の後方で戦闘態勢を整え、スウェーデン軍の攻撃を待ち構えていた。スウェーデン国王は到着後、騎兵を率いて即座に敵軍を攻めた。この攻撃はすぐに中断する。カール12世を大いに驚かせた堡塁が、騎兵の侵入を阻んだからである。 2回目の攻撃は歩兵が実施した。しかし堡塁に籠るレオポルト1世指揮下の軍に、銃弾を命中させるのは彼らにとっても困難であった。この戦いにおいて、カール12世の乗馬は戦闘中に射殺された。大きな損害を被りつつデンマーク軍の防衛線で部隊を率いて戦った末、彼は流れ弾を肩に受けて負傷する。この攻撃は、デンマーク軍のイスケ連隊が一時的に揺らぐほど激しかった。しかしその混乱の収束は早く、猛烈な応射を開始する。デンマーク軍は、すぐに増援を得た。こうしてスウェーデン軍の撃退に成功したのである。 戦いが始まって15分後、アンハルト=デッサウ侯レオポルト1世はデーヴィッツ(ドイツ語版)中将にプロイセン軍とザクセン軍の騎兵5個中隊をもって、スウェーデン軍の側面を突くよう命じた。しかし、この攻撃はスウェーデン騎兵に撃退される。血戦は続いたが、時間の経過とともに強力な反撃を受けたスウェーデン全軍の退却戦に発展した。カール12世自身は胸にマスケット銃の弾を受けて負傷し、乗馬の下敷きとなっていた。困難の末、国王の休出は間一髪で間に合った。 スウェーデン軍は全ての大砲を失い、歩兵は実質的に全滅した。将官4名が戦死するか、致命傷を負った。スウェーデン軍が死傷者500名から600名の犠牲を出した一方、歩兵戦でこの戦いの主力を担ったデンマーク軍の死傷者は93名であった。騎兵戦においてザクセン軍は36名、プロイセン軍(英語版)は49名の死傷者を出している。
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