9世紀から17世紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/02/09 22:39 UTC 版)
「ブライテンギュスバッハ」の記事における「9世紀から17世紀」の解説
既述の通り、ブライテンギュスバッハは、9世紀の初め(812年頃)には"Gusibach"と呼ばれ、ハルシュタットの王直轄領に属していた。ハインリヒ2世は、1007年のバンベルク大司教区の創設に伴い、ギュスバッハを含む王領をバンベルクの教会領として寄贈した。この町は、13世紀の前半にはすでに独自の教会を持つようになり、1392年にハルシュタット小教区から分離され、独自の小教区が創設された。 1594年にはすでに村の構造ができあがっており、その後数世紀の間、その構造は替わらなかった。学校教師、鍛冶屋、理髪師、羊飼い、助産婦が村におり、賃雇いで仕事をしていた。村の集会所や村営の鍛冶屋、さらには公営浴場まであった。三十年戦争の時代、スウェーデン軍の攻撃で1633年2月8日にギュスバッハは瓦礫と灰燼に帰した。
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