理髪師
『剃刀』(志賀直哉) 芳三郎は腕の良い床屋である。彼は風邪をひいて熱があり、床についていたが、夜遅くなって客が来た。客はイキがった口をきき、これから女郎買いに行くらしい。芳三郎は不快な気分で、客のひげを剃る。手が震え、刃がひっかかって、客の咽から血が1すじ流れる。かつて客の顔を傷つけたことがなかった芳三郎は、荒々しい感情に襲われ、剃刀を逆手に持ちかえて、客の咽を深くえぐった。
『ヴォードリーの失踪』(チェスタトン) 田舎では、床屋が煙草屋を兼ねることが多かった。ヴォードリー卿が床屋でひげを剃ってもらっていた時、1人の男が店先に来て、ウィンドウにある煙草を欲しいと言う。床屋が剃刀を置き、どの煙草か確かめに表へ出るのと入れ替わりに、男は奥へ入り、剃刀を取ってヴォードリー卿の喉をかき切る。男はすぐ店先へ戻り、煙草を買う。男が去った後、床屋はヴォードリー卿が死んでいるのを見て驚愕する。
『不器用な理髪師』(藤子不二雄A) 男が、ヒゲを剃り忘れたことに気づき、裏通りの床屋へ入る。そこは初老の親父と若い息子がやっている店で、息子はひどく不器用だった。男は麻酔をかがされ、地下室へ運ばれて、息子の剃刀の練習台にされる。息子は手もとを狂わせ、男の喉から血が噴き出す。息子は「またやってしまったヨォ」と言い、親父は「しょうがねえなあ。いったい何人殺せば一人前になるんだよッ」と怒る。
*床屋の手伝いをして、血の味をおぼえる→〔血〕10の茨木童子の伝説。
『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』(河竹黙阿弥) 髪結いの新三(しんざ)が、材木商・白子屋の娘お熊を誘拐する。白子屋の依頼を受け、弥太五郎源七親分が、新三の住む裏長屋へやって来る。源七親分は10両と引き換えに、お熊を白子屋へ返すよう説くが、新三は「10両では不足だ」と言って、源七親分を追い返す。その後へ大家長兵衛が来て、新三が前科者であることを言い立て、おどしたりすかしたりして、15両でお熊を返すことを承知させる→〔身投げ〕1a。
『人情紙風船』(山中貞雄) 貧乏長屋に住む新三は、近頃は本業の髪結いの仕事をしていない。髪結いの道具箱を質商・白木屋に持ち込み、金を借りようとして断られたりもする。新三は白木屋の娘お駒を誘拐し、彼女を取り戻しに来た源七親分を罵って追い返す。長屋の大家が白木屋と交渉し、50両と引き換えにお駒を白木屋に返す。面目をつぶされた源七親分は怒り、夜、新三を呼び出す。源七親分は刀、新三は短刀を手に、斬り合う〔*『梅雨小袖昔八丈』の映画化〕。
★3a.理髪師が、王の耳がろばの耳であることを知る。
『変身物語』(オヴィデイウス)巻11 アポロン神が、ミダス王の耳をろばの耳に変えた。ミダス王は、頭巾をかぶって耳を隠す。しかし理髪師が、これを見てしまった。理髪師は「ろばの耳のことを皆に言いたい」と思うが、口外する勇気がなく、かといって黙っているのにも我慢がならなかった。そこで彼は、ミダス王の秘密を穴の中へささやいた→〔穴〕5。
★3b.理髪師が、王の白髪を見つける。
『ジャータカ』第9話 マカーデーヴァ王は、「我が頭に白髪を見つけたら知らせよ」と理髪師に命ずる。長年月の後、理髪師は王の黒髪の中に1本の白髪を見出し、王に告げる。王は出家する。
★4.女性理髪師とその夫。
『髪結いの亭主』(ルコント) アントワーヌは子供の頃から、床屋へ行くのが大好きで、「女の床屋さんと結婚する」と心に決めていた。大人になったアントワーヌは、美しい女性理髪師マチルドを見かけ、彼女を妻にする。アントワーヌは1日中、店に座りこんで、働くマチルドを見ていた。マチルドさえいれば、仕事も子供も彼には不要だった。幸福な10年の結婚生活の後、突如マチルドは川へ身を投げる。「あなたが死んだり、私に飽きたりする前に、死にます」という書置きがあった。
理容師
(理髪師 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/14 08:12 UTC 版)
理容師(りようし、英語:barber)とは、髪を切って整える等の理容を行う仕事を司る職種である。日本語で、理髪師(りはつし)、床屋 (とこや)とも俗称される。
紀元前においても現代の都市文明社会においても、髪を切る以外に、パーマネントウエーブ、ネイルアート、化粧、染髪、マッサージなどは、理容師の業務範囲に含まれていることが少なくなかった(むろん、時代・地域等によって大きく異なる)が、現代ではこれらの各種サービスにエステティックが加わった。
歴史

17世紀末のロシア帝国にて、勅令に従って“髭刈り”を執行する床屋(理容師。右)と、抵抗の意志を見せながらも応じざるを得ない古儀式派の大貴族(左)を描いた戯画。18世紀初頭の作。


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先史時代
理容は先史時代からあり、考古遺物としては青銅器時代にあたる紀元前3500年頃の剃刀が発見されている[いつ?][どこ?]。また、『旧約聖書』「エゼキエル書」にも理容のことが書かれている。
古代
釈迦十大弟子の一人であるウパーリは、出家前は釈迦族の理髪師であったことが知られている。
マケドニア人(アレクサンドロス3世(大王)時)に征服される前の古代ギリシアでは、主人の調髪や、頭髪、髭、指の爪などのスタイルを整えていたといわれる。
整髪は、古代ギリシアの植民地で当時の技術的最先端地域であったシチリア島から紀元前296年に共和政ローマに渡り、間もなく人気を博した。古代ローマの自由市民は髭を剃らなければいけなかったが、一方、男性奴隷は髭を伸ばすことと決められていた。朝に公衆浴場と共に理髪師を訪れて身を正すことは習慣となり、また、青年が生まれて初めて髭を剃ること (tonsura) は青年と見なされるための通過儀礼の一部となっていた。ローマ人理髪師の中には裕福になって栄えた者もいたが、そういった者は店先の通りにスツール(椅子)を並べ、クォドランス(当時の硬貨、通貨単位でクォーター)の料金で髭を剃っていた。剃刀による剃髪が嫌いな客には脱毛も行った。
紀元前54年、共和政ローマのガイウス・ユリウス・カエサルが軍を率いてグレートブリテン島に上陸したときには、先住民であるブリトン人は唇の上部以外の顔の髭を剃っていた。
イングランドでは歴史的に、シェービング(剃髪、髭・髪に関わらず)は法律で義務づけられていた。
中世以降
イングランドにおいて、ノルマンディー公ギヨーム2世(イングランド王ウィリアム1世)によるノルマン・コンクエスト(ノルマン征服)の時代には、敵方であり最後のアングロ・サクソン系イングランド王となったハロルド2世とその家来は顎髭(あごひげ)を剃っていた。
中世の欧米諸国では理容師は外科的処置を行う外科医、歯科医師でもあった。
その頃、医学は内科学主流とされていたため、怪我の処置や四肢の切断等に至るまで、理容師がこれを行っていた。「瀉血(血抜き)」、吸角法、ヒル療法、浣腸、抜歯を行った。そのため、彼らは "barber surgeon(理髪外科医)" と呼ばれ、1094年に最初の組合を作った。
イングランドにおける理容師は、イングランド王エドワード4世によって1462年、ギルド(職業組合)として法定化され、外科医はその30年後にギルドができたが、1540年にヘンリー8世により、"The United Barber Surgeons Company"(理髪・外科医組合)として成された。エリザベス1世時には「生活が活発でないことの証明だから」という理由によって2週間以上髭を伸ばした者に税金を課していた。
17 - 18世紀のロシア皇帝ピョートル1世(ピョートル大帝)は、1699年、西洋化改革の始まりを示すべく、ロシア正教上の習慣に逆らって口髭・顎鬚を剃り落とすよう全国民に強要し、違反者には身分上の貴卑の別なく課税した。ロシアの民衆版画であるルボークにもこの様子は描かれている。
ジョージ1世時の1745年、外科医は理容と分けることが法定された。
ロンドンの外科医の組合はジョージ3世時の1800年にイングランド王立外科医師会になった。
日本の理容
日本語では、古くは髪結いと言い、江戸時代から明治時代にかけては「理髪業従事者」の総称であった。その後も伝統的日本的髪型の理容と理容師に限っては「髪結い」の呼称は死語とはならず、現在に至っている。また、「髪結い床(かみゆいどこ)」という自分の店を持つ者は床屋とも呼ばれたが、「床屋」は理髪業従事者とその店の俗称となって現在なお通用している。また、力士の髷や役者の鬘を結い上げる職業は床山と呼ばれる。
現代日本の理容師法では「理容を業とする者」をいうと定義されている(理容師法1条の2第2項)。現代日本における国家資格については理美容師を参照のこと。理容師の定義や資格、理容所の設置については、理容師法によって定められている。同法に違反する営業や理容行為については罰則がある。
道具
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時代の別無く、剃刀とそれに匹敵する刃物を欠かせない地域が多い。はさみ(鋏)の普及後はこれが主たる道具となり、剃刀は少し補助的な道具に変わった。バリカンが普及した地域ではこれも多く用いられる。髪はともかく、産毛の手入れに刃物ではなく紐を使う(紐で毛を挟み込んで引き抜く)地域も少なくない。櫛も多くの場合は欠かせない道具となっている。
鋏は、理容師が握りこむ、離す動作を多く繰り返すため、切れ味もさることながら疲労軽減につながる機能も重視される。手や指の大きさに合わせて握り部分を加工する、刃先から根元まで均一に切れるよう刃をわずかに湾曲させる、中心軸にベアリングを組み込むといったカスタマイズが施された鋏は、手仕事で仕上げられるため10万円を超える価格のものも珍しいものではない[1]。
特記事項
- 営業中を示す「サインポール」の由来についてはさまざまな説がある。別項「サインポール」を参照のこと。
- 上記のように、歴史的に頭髪や髭を剃る文化は任意行為でなく、それぞれの民族・文化圏・国家等の法(掟、教義、法律)や信仰などによるところがある。
- バーバーフィッシュ(学名:Johnrandallia nigrirostris、英語:barberfish)
- スズキ目チョウチョウウオ科の魚で、太平洋東部に分布する。和名と呼べるような呼称は見当たらないが、英語名に準じて「バーバーフィッシュ」と呼ばれるほか、スペイン語名もしくは英語名の意訳で「床屋魚」とも呼ばれ、客の体を綺麗にして帰らせる「床屋(理容師)」に譬えられるにふさわしい生態を持っている。自分より大きな海棲動物(大型の魚類や甲殻類、ウミガメ等々)の体表面や口内に着いた寄生虫や汚れ(食べかす、古い組織、傷痕の組織など)を食べて綺麗に掃除する。掃除をしてもらいたい動物はバーバーフィッシュの棲息水域に自ら赴き、バーバーフィッシュが作業をしやすい海底近くをぐるぐると泳ぎ回ったり、海底に留まって過ごす。
- イタリア系アメリカ人のアンソニー・マンチネッリ(Anthony Mancinelli , 1911-2019)は96歳の時に現役最高齢の理容師としてギネス世界記録に認定され、2019年に108歳6ヶ月で死去する2ヶ月前まで現役で理容師を続けた[2][3]。
関連する創作作品
- 『セビリアの理髪師』 - フランスの劇作家ボーマルシェによる戯曲、ならびにそれを題材としてジョアキーノ・ロッシーニが作曲したオペラ。
- 『うなぎ』 - 1997年公開の日本映画。今村昌平監督作品。主人公が理容師。
- 『スウィーニー・トッド』 - 19世紀のイギリスミュージカル。ジェームズ・マルコム・ライマーとトーマス・ペケット・プレスト監督作品。主人公がロンドンの理容師でありなから、連続殺人犯としての一面を持つ。
- 『小さくても勝てます』ダイヤモンド社 さかはら あつし著 2016年12月6日。主人公が理容師の大平法正
備考
当資格者は、教育職員検定により特別支援学校自立教科助教諭(理容)の臨時免許状が与えられる制度があり[4]、定められた経験、単位修得により普通免許状に移行できる。
脚注
- ^ “長持ちするはさみ作りたい 美容師に愛され半世紀 宝塚のメーカー”. 神戸新聞NEXT (2019年7月1日). 2019年7月1日閲覧。
- ^ “現役最高齢の理容師が死去”. 西日本新聞. (2019年9月28日) 2021年1月29日閲覧。
- ^ “アンソニー・マンチネッリさん、108歳 ギネスブック掲載、現役最高齢の理髪師”. DAILYSUN NEWYORK. (2019年9月30日) 2021年1月29日閲覧。
- ^ 教育職員免許法施行規則第65条。
関連項目
- 髪結い、床屋
- 美容師
- 理美容 - 「理容」と「美容」の違いについて解説。
- 理美容師 - 「理容師」と「美容師」の違いについて解説。
- 理容師法、管理理容師
- 職業訓練指導員 (理容科)
- サインポール
- 髪型、髭
- 医学、外科学、理髪外科医
- 散髪脱刀令、断髪令 (朝鮮)、ひげ税
外部リンク
- 西洋理髪法 : 美顔術・美爪術 島崎十助 理髪研究社、明45.7
理髪師
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