紀元前54年
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紀元前54年は、ローマ暦の年である。
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- 1 紀元前54年とは
- 2 紀元前54年の概要
- 3 脚注
紀元前54年(ガリア戦争5年目)
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「ガリア戦争」の記事における「紀元前54年(ガリア戦争5年目)」の解説
ピルスタエ族の暴動を調停した後、カエサルは元々遺恨のあったハエドゥイ族のドゥムノリクスを誅殺した上で、再び船隊を率いてブリタンニアへ遠征した。前年同様に嵐によって船舶の一部に損害が生じたこともあって、ブリタンニア人はカッシウェラウヌスをリーダーにローマに対して蜂起したが、ローマ軍は多くのブリタンニア人を戦いで殺戮し、ブリタンニア人を降伏させた。 ガリアへ戻ったカエサルはガリア人監視の意味もあって、レガトゥス(総督副官)を各地に冬営の為に派遣した。エブロネス族の地へはクィントゥス・サビヌスとルキウス・アウルンクレイウス・コッタが派遣されたが、エブロネス族の族長アンビオリクスの計略に掛かって、サビヌスらが率いたローマ軍は指揮官共々壊滅した(アドゥアトゥカの戦い)。 アンビオリクスは他のローマ軍を攻撃するように焚き付けて、ネルウィ族はクィントゥス・トゥッリウス・キケロが冬営する駐屯地を攻撃したが、キケロは持ち堪え、駆けつけたカエサル軍によってネルウィ族は敗退した。トレウェリ族のインドゥティオマルス(Indutiomarus)がゲルマニア人も呼び込んでの蜂起を企てたが、不首尾に終わった為に単独で蜂起したが、ラビエヌス率いるローマ軍に敗北し、インドゥティオマルスは戦死した。
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